これだけ冷めた感想文をかけるとは、さすが知識人?ですね。 これだけの批判知力があるのなら良いことに使えないのかな。 知識人と呼ばれる人たちには文化人が多く、表現力がうまいね。 こういう平和な時代は最高だね。何でも自由に表現できるし。 戦争なんてヤーだね。このまま気ままに暮らせりゃイーのさ。 それに比べると「小林」はダメだね。憂国の士気取りで。 アーいうのが出てくると、気ままな暮らしが悪いみたいに思えてイヤだね。 とにかく日本人は出しゃばる必要はないのさ。気楽に生きていこうぜ。 これからも「出る杭は打つ」の精神でヤツをたたいてイコー。 by. プーやってるトシヤ (H13.11/17)
(大久保より) 「出る杭は、打つ」。 「人が登っているのを見ると、自分が登らずに、足を引っ張って安心する。」 僕も、嫌ですね。 私が『ゴーマニズム宣言』について書くのは、「面白いから。興味があるから。」 です。小林には、これからもどんどん頑張って欲しいです。
大久保さんのゴー宣ページについて、自分自身の立場があいまいだ、覚悟が 無い、主張が無い、といった論調の感想があるようです。私は、このページの メインテーマは「ゴー宣は面白い!」ということに尽きるのではないかと思い ます。 小林よしのりをどの程度支持するかは読者によって様々でしょうけど、あれ ほど強烈な主張ですから、やはり鵜呑みにすることは警戒してしまう、という のが平均的な読者ではないでしょうか?私はかなり警戒しながら読んでいます。 > 鵜呑みは、やはり良くないのでは?咀嚼しましょう。 という言葉が、大久保さんの支持レベルを端的に表していますね。しかしな がら > やだ。こんなに面白い漫画。読まずにおれない。 ということで、ゴー宣の面白さに対しては手放しの賞賛ぶりです。たいてい のゴー宣論は主張内容についての文章になりがちで、事実関係がどうの、論理 構成がどうの、と理屈が多いものです。そういうことは置いておいて、とにか くゴー宣は面白いですよね。反ゴー宣の立場の論者は、どう逆立ちしてもこれ ほど面白い表現はできないでしょう。大久保さんのHPは、「ゴー宣は面白い! よしりんに賛同するかどうかはもっとよく考えてからでないと何とも言えない けど、とにかく面白い!」と素直に感動する読者像を代表していると思います。 感想はここまでなんですが、私自身の韓国訪問体験を一つ。 先日、仕事でソウルに行った折に、「西大門刑務所歴史館」を見学してきま した。今年10月に小泉首相がここを見学して以来、日本人の見学者が増えて いるそうです。日本語を話すボランティアの案内人さんがいました。 圧巻は、日本人による韓国人独立運動家への拷問の展示です。地階のワンフ ロア全体を使って、逆さ釣りでの殴打、傷口に唐辛子入り水をかける、水槽に 顔をつける、電流の流れる棒を使う、指に竹針を刺す、女性に対する性拷問、 悲鳴を聞きながら拷問の順番を待つ部屋・・・等が実物大の人形で再現されて います。一部は電気仕掛けで動くようになっており、スピーカーから悲鳴が流 され、照明は薄暗くされていて、実に鬼気迫る展示です。こういう施設を、幼 稚園児や小学生の団体までゾロゾロ見学に来ていました。 私がまず気になったのは、展示内容がどの程度厳密に史実に基づいているの かという点です。まあ、首相が見学に行って何も訂正要求などをしていないと いうことは、日本としても展示内容の信憑性を認めたことになるんでしょうね。 次に思ったのは、戦時中には日本人の共産主義者・自由主義者・宗教家も弾圧 された、特高警察というものは非常に怖い存在だった、あのような拷問は日本 人に対しても行われていたと思われる・・・この事実を日本人でさえ知らない 人が多いのではないかということです。同行した女性(20代)は知りませんで した。ゴー宣でも、いずれこの歴史館について取り上げるかもしれませんね。 どのように描かれるのか、興味があります。 それでは、戦争論2の感想も書き進まれることを期待しています。 by. ひめたにし (H13.11/15)
(大久保より) > メインテーマは「ゴー宣は面白い!」ということに尽きるのでは > ないかと思います。 そうですね。私は初期の『ゴーマニズム宣言』が好きでして、 「昔は面白かったのに、ある時期から小林は変節した。ゴー宣が 面白くなくなった」という人も多いですが、私は今も、基本的 に同じだと思って読んでいます。 基本は、ギャグ漫画ですね。 そういうポジションで読み続けるのが、だんだん難しくなってきては いるのですが…。 その危うさも、魅力のひとつですね^^;。 > よしりんに賛同するかどうかはもっとよく考えてからでないと何とも言えない > けど、とにかく面白い!」と素直に感動する読者像を代表していると思います。 代表しているのかなぁ?。「こういう漫画の読み方もあるよ。」という サンプルを提示しているつもりはあります。 > ゴー宣でも、いずれこの歴史館について取り上げるかもしれませんね。 > どのように描かれるのか、興味があります。 さっそく、今号(第153章)で取り上げられていましたね。 > それでは、戦争論2の感想も書き進まれることを期待しています。 ううぅ…。
ホームページを拝見しました。 率直な感想を述べるとすると・・・ そんなに何もかも相対化してもねぇ・・・ ってとこでしょうか? やはり自分の意見・主張をはっきりさせられた方がよいのでは ないですかね。 人の意見・主張を相対化させていくだけで何か見いだせる価値 ってあるんでしょうか。 ある!とお考えなのであれば単なるお節介ですが・・・ 感想へのメールも拝見しましたが 小林先生の主張を鵜呑みにするのを怖がっている人が多い のを見て思わず笑ってしまいましたが、 私からすれば小林先生の思想って右派でも左派でもなく ごく常識的なものだと思いますので、 それに反発される方々って単に常識が無いだけなのでは? と考えています。 しかし、宗教同様貴殿のホームページを心の拠り所にされている 方もおられるかもしれません。 そういう方の為に、という意味で今後も どうぞご活躍下さい。 by. 匿名で失礼します (H13.8/28)
(大久保より) > 人の意見・主張を相対化させていくだけで何か見いだせる価値ってあるんでしょうか。 > ある!とお考えなのであれば単なるお節介ですが・・・ 相対化ですか…。確かに、どっちつかずですね。私。 で、思い付きの理由ですが…、 哲学の弁証法に、「正反合一」というのがありますよね。 まず、「議題(正)を俎上に載せ」「それの対案(反)を出す」 その2つを昇華(合一)した形で、思想を深化させてゆく方法論ですね。 そうやって、深化(進化)してゆくのが理想かな。 あくまで、理想ですが^^;。 > 小林先生の主張を鵜呑みにするのを怖がっている人が多い > のを見て思わず笑ってしまいましたが、 鵜呑みは、やはり良くないのでは?咀嚼しましょう。
> ・ 小泉首相の靖国神社公式参拝問題について。 > もちろん、過去に日本人を結束させる「道具」としてこれらのアイテムを > 利用したり、韓国人・中国人に強制したりしてきた歴史はあるだろうが、 > あくまでその時代の「道具」であり、現代では「日章旗」を平和の象徴 > として「道具」として使う事も可能であろう。 別に平和の象徴にまで持ち上げなくてもいいんじゃないですか? 昔から使っていた国旗、国家、制度、なのだからという理由で十分だと思います。 > 「道具」に罪を被せて、隠蔽すればそれで「軍国主義」復活を防げると考えて > いるとすれば、あまりにも短絡的思考であろう。 > (例. 『ちび黒サンボ』を隠蔽すれば、黒人差別は解消される。) 賛成です。 > この日本国を創って来たのはなにも「戦争で戦って死んだ人」だけではない > はずである。私が真っ先に思い浮かべる「神様」は、もちろん「漫画家・手塚治虫」 > です。 > もし、首相が「この国を創ってきた英霊(神)に敬意を表するべき」と > 考えているのであれば、靖国神社だけでは無く、当然 手塚治虫の墓にも > 「公式参拝」すべきだと思うのだがどうだろうか? 戦死者と自分の能力を遺憾無く発揮して国民に多大な影響を残した人を 一緒に考えるのはどうかと思います。 前者は国のために犠牲になった方々であり、後者には、まさに”奉る思考”の 理由となるところの犠牲が有りません。 ちび黒サンボを隠蔽する思考回路からは”神様”の鉄腕アトムだって単なる 暴力的漫画にしか見えないかも知れませんよ。 危惧するべくは短絡思考者達です。 by. KENJI さん (H13.8/17)
(大久保より) 「犠牲」がなければ、「神(奉る対象)」になれないという事はないと思いますよ。 極限状態だと顕在化し易いというだけで、「犠牲」は必要条件ではないと思います。 (実は、充分条件でもないと思ってますが。)
ペンネームでケンジと申します。 本名を名乗る意味はないでしょう、この世界で。 このホームページは以前から、小林先生の主張を意地でも相対化しようとしている点 で、アンチゴー宣などよりもムカついていました。 いつもはこんな文章書いてるヒマないんですが、今日はたまたま仕事が休みなんで、 長い抗議文かいときます。 第50章「女に甘える資格」 >「資格」って何?「失格」って何に?分からん。 >とりあえず、小林は甘える資格があるらしい。 分かれよ。そのぐらい。 そういうのが分からん人でゴー宣読んでておもしろいのが俺には不思議だ。 第63章「自分のために闘う寂しさ」 >スポーツ選手がスポーツをするのは別に構わないけど、それを見て自分は何もしな >い癖に無責任に熱狂するファンの心理が私には良くわからない。 人間には集団でみんなでもりあがって熱狂するという習性があるんです。 あなたのようなインテリ系の人には分からんかもしれませんが、仲間同士で勝った負 けたなどやってるのは楽しいものですよ。 問題はその「仲間」ですが、 第63章「自分のために闘う寂しさ」 >他の漫画家は、自分が面白いと思うものを「面白い」と感じてくれる人がいれば、 >地球の裏側の人のためにだって描くでしょう。 他の漫画家は他国で評価されるのは「ついで」だとかんがえてると思うが。 大久保さんは、ここから「公」の範囲を世界にしたり、サジタリアスから家族にした りしてるが、呉善花さんの本を3冊も読めば、隣の韓国とでさえあと100年は価値 観の共有はありえないとわかるでしょう。 うちのアネキはゴー宣も活字も全く読まないが、中国人と韓国人と台湾人がきらいだ と。 いわく、みな金に汚いくせにくだらないプライドばかり高いかららしい。 家族や地域というが、例えばモーニング娘。なんかは神奈川や茨城だけを狙ったわけ ではないし、台湾で売れたのも「ついで」でしょう。 アメリカ映画だってまずアメリカで売れることが前提で、日本での売上げは「つい で」でしょう。 あなたの開いているホームページだって、地域限定にしたいわけでもないだろうし、 日本国民をターゲットしてるでしょう。 それとも、このホームページはアメリカ人や台湾人にもみてもらえるようになってる んでしょうか(そういう配慮はなさそうだが)。 第147章「国会議員が知らない靖國合祀の真実」 >それをアメリカの蛮行と言うのも、それこそ「現在の人権感覚で過去を断罪してい >る」ことになりはしないか? 異なる公共空間に住む人は「仲間」ではなく、基本は「敵」である。小林先生も「相 手が言うから言い続けねばならない」旨、語っておられる。 大久保さんには、林秀彦氏の「日本を捨てて日本を知った」(草思社)「ココロをな くした日本人」(毎日新聞社)をお薦めします。 林氏の本には日本人の素晴らしさと同時に、日本人の平和的思考がいかに世界の秩序 を乱しているかがよく描かれてます。 以上、抗議文おわり。 by. ケンジさん (H13.8/13)
(大久保より) > 隣の韓国とでさえあと100年は価値観の共有はありえないとわかるでしょう。 その100年後の「価値観の共有」の為にも、現在の小さな1歩が必要なの だと思うが。「基本は「敵」」というのも、極論だと思います。 > うちのアネキはゴー宣も活字も全く読まないが、中国人と韓国人と台湾人 > がきらいだと。 > いわく、みな金に汚いくせにくだらないプライドばかり高いかららしい。 お姉さんは、なにを根拠にそう言ってるのでしょうか?^^;。 日本人も、以前は西洋から「エコノミック・アニマル(経済猿)」と呼ばれ てましたね。懐かしい。 > それとも、このホームページはアメリカ人や台湾人にもみてもらえるように > なってるんでしょうか(そういう配慮はなさそうだが)。 確かにあまり配慮してませんね。要は、私の手間と語学力の問題ですが。
安斎と申します。 始めに自分の立場を表明しておきますが、私はゴー宣の立場を原則として (ちょっと行き過ぎだと思う部分がありますので)支持する者です。 但し天皇陛下万歳とか(天皇制は支持しますが)、戦争万歳とか(国防軍の 設置を是とする者:すなわち改憲支持:ですが)言うつもりはなく、単に 世界における常識を日本が持つべきだとのみ考える者です。 貴兄のWebPageを拝見し、このような考え方もありまた一つ勉強になった と感じました。少なくとも恣意的なマスコミ報道とは一線を画した内容で、 貴兄の頭で判断した(マスコミ等に踊らされることのない)ということが 良く理解でき興味深く読ませていただきました。 ただ、数学を専門にする人間として、論理が変だな、(内容ではありません)と 感じる部分が散見します。多分貴兄の中では問題になっていないのでしょうが( つまり必要十分条件になっているのでしょうが)、文面からでは、逆と対偶を混同 しているような表現が見られます。 安斎は人間である。正しいのは「人間でなければ、安斎ではない。」のみなのです。 逆に言えば、というくだりで、このような表現が散見します。 先にも書きましたが、多分貴兄の言いたいことはそうではないとは思いますが、 人間なら安斎である、という論理構造での表現があります。 貴兄の考え方を鮮明にし、議論の本質を明確にするためにもご一考を頂ければと思 います。 突然のmail失礼いたしました。 by. 安斎さん (H13.8/3)
(大久保より) 多分、第142章での「北方領土」や「靖国問題」の考察部分での感想だと思います。 ご指摘有難うございます。確かに、論理展開が変な部分があるでしょうね。 今後の参考にさせて頂きます。有難うございました。
はじめてメールします。私は神奈川に住んでいる男です。 パソコンソフトの制作をしています。 小林よしのり先生にゴー宣で取り上げていただきたい問題として、 「千島列島問題」があります。 千島列島は、最北の占守島まで日本の領土のはずなのに、ロシアは 現在も不法占拠を続けています。 これは第二次大戦の戦後規定にもある「領土不拡大」の趣旨にも 重大に違反しているのは明白です。 南樺太・ウルップ島以北の諸島について、日本は放棄した形になっ ていますが、その帰属をソ連に明け渡した訳ではありません。 また、外務省が北方四島にしか問題を言及していないのにも腹が立 ちます。ぜひこの重大な問題をゴー宣で問題提起していただけないか、 小林先生に伝えていただけないでしょうか。 千島、樺太は日本の固有領土です。この普遍的価値観を、多くの人に 再認識していただけることを強く望みます。 よろしくお願いいたします。 by. 匿名 (H13.7/23)
(大久保より) 「小林先生に伝えて」欲しいと言われましても…^^;。 多分、その内取り上げられるとは思いますが。
大久保俊宏様 はじめまして。今日、大久保さんのホームページを見て、 非常に共感を覚えました。 全ての点で御意見が同じではないかも知れませんが、 お書きになられた事の多くに同感だと思いました、特に、 台湾に関する御意見、近現代史に関する御意見、そして、 原子力発電に関する御意見に非常に共鳴致しました。 失礼かとは存じましたが、小生の発行するミニコミ・ メールマガジン(「さくら通信」)の一つを御挨拶にお送りさせて 頂きますので、御笑読頂ければ望外の光栄で御座居ます。 末筆と成りましたが、大久保さまの益々の御活躍を 祈念申し上げます。敬具 2001年7月16日(月) 西岡昌紀(内科医・神奈川県)
(大久保より) なんと、「あの」西岡昌紀さんから、感想を頂きました。 西岡さんは、「ナチ・ガス室はなかった」という記事を掲載して、 ユダヤ人団体などから抗議されて、『マルコポーロ』を廃刊に 追い込んだ事で有名ですね^^;。 『ゴーマニズム宣言』でも、少しだけ取り上げられた事があります。 Yahoo! に、公開プロフィール を載せていらっしゃいますね。 著書:『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』(日新報道) http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
いつも大久保さんのHP、拝見しています。近年特に、難解さに拍車がかかっている 『新・ゴー宣』を読む上で、とても参考になっています。 ・・・いえ、別に変な意味でそう言っているのではなくて、ごく普通の意味で面白 い、ためになると感じているのであり、大変感謝しているということです。 稚拙な文章ですみません。 さて、恐縮ですが、本題に入りたいと思います。 第143章について。 >「古代人の大らかな性と 人間くさい猥雑さをも表した この神々の様子を ありのまま描写することは」 >(後略) この後、思春期の子供たちが「神話」に好奇心を持つきっかけとなるだろう、と続き ますが、それはその通りだと思います。実際、古典に詳しい中学時代の恩師は、『好 色一代男』から古典に触れていったのだと得意げに語りつつ、そういった「ウラ技」 的な入り方を薦めていましたから。 しかし、それを「教科書」でやるのと、「教師」が個人的に諭すのとでは大違いだ、 とも思います。 >「教科書を漫画家が 書いたことの方が はるかに画期的で 過激なことなのだ!」 >確かに。 同感です。権威ある「教科書」が、漫画家によって執筆されたということなのですから。 そして、その是非は誰が書いたかではなく、その内容によって決まっていくのでしょ う。その権威性も同様でしょうね。 また、小林氏が「教科書に漫画なんか載せるな」と主張しているということは、「教 科書は権威であるべきだ。漫画はサブカルチャーなのだから」と考えていることにな るのでしょう。 ということは、その「権威」が、性的興味から神話に触れるという「ウラ技」を教え ることになってもいい、ということに・・・なりはしないでしょうか? 先に挙げた恩師は、「あんまり他の先生にバラすなよ」とも言っていました。それが 「ウラ技」であること、うしろめたいものであることも自覚していたわけなのです。 私自身も、それはおおっぴらに薦められるやり方ではない、と思います。 それなのに小林氏は、「ウラ技」が「権威」あるものになってもいい、と言うのでし ょうか? そうなったとしても、「歴史は『史料』を尊ぶ 原典に忠実に書く ただそれだけの ことだ」と、小林氏は言うのでしょうか? それも結果論だと。 「史料」は「公」に勝る、と言いたいのでしょうか。 私の未熟な意見から言わせてもらえば、それは本末転倒なのではないか、と思うのです。 いきなりマニアックな話になって申し訳ないのですが、『ジャイアント・ロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』というアニメをご存知でしょうか。 特撮ではなく、OVAです。 その中に出てくる「フォーグラー博士」という人物は、人畜無害で永久利用できる夢 のようなエネルギー機関(シズマドライブと言います)を開発するために他の博士と チームを組むのですが、その他の博士が功を焦ってしまい、未完成だったその機関を 暴走させてしまいます。 それを見たフォーグラーは、その罪を自分でかぶり、他の博士たちにエネルギー機関 の開発を託したのです。 結果、無実であるはずのフォーグラーの名は悪名として世界中に知れ渡り、残った他 の博士たちは同機関を完成させ、世界的な偉人となったのです。 すなわち、フォーグラーは「真実」よりも、シズマドライブの完成を優先させたのです。 すなわち、「真実」は「公」のために歪められてもいい、と考えたのです。 (もし、全部の話をご存知でしたらすみません) ・・・無論、その「公」は、小林氏の言う「公=国まで」という定義から逸脱した、 「世界」や「人類全体」といった、小林氏が鼻で笑うであろう巨大すぎる「公」です。 おまけに、この「真実」の隠蔽で犠牲となるのはフォーグラー本人だけであり、「日 本のために戦ったじっちゃんばっちゃんたち」ではありません。 しかし、私はフォーグラーの考え方も一理あるのでは、と思います。 「公」的に有益ならば、「真実」を曲げてもいい、という結果主義もアリなのではな いか、と。 それが今ゴー宣で扱っている「教科書問題」と密接に関わってくるとも思えないので すが、本当に史実のみを書いた歴史が、果たして「公」的な利益を生むのかと、どう しても感じてしまいます。 教え方にもよると思うのですが・・・ 以上、長々とすみませんでした。 あとは単なる雑感です。 受験に不利というデマに対し、「もっとも情報量が多い」、「ストーリーがわかるよ うに書こうと努力している」と小林氏は反論していますが、これはいわゆる「反日」 的な情報が載ってないから、そういった情報を問うような問題で不利になる、という 意味もあるのでは。 例えば、「南京大虐殺について書け」という論述問題をやる際に、『新しい歴史教科 書』を情報ソースにしたら手も足も出ないと思います。「30万人虐殺された」と書い て○、「実はそんなに住んでなかった。実際は・・・」と反論したら大×をくらう、 という可能性は十分にあるでしょうから。 >「「朝まで生テレビ」は アンケート結果も 完全勝利 テレビ局側が 操作しなければ こうなってしまう」 ずっと前から思ってたのですが。 単に、ゴー宣読者がいっぱい見てたから勝ったんだ、ということなんじゃないですかね? >「ビデオ保存して 制作者の名を 記録しとけ!」 漫画にしっかり明記してますね。「阿部龍二郎」って。 この人、『うたばん』とかも作ってらっしゃるようなのですが、この人だけ名前書く のは筋違いでは? スポンサーやさらなる上層部のほうからも、口出しされてる気がし ます(根拠はゼロですが)。 雑感は以上です。 全くもって、要領を得ない文章で申し訳ありませんでした。 暑くなったと思ったら急に冷え込んだりして、体調が崩れやすい天気が続いています が、くれぐれもお身体にはお気をつけ下さい。 今後ともHPを拝読していきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。 それでは、さようなら。 乱筆乱文、大変失礼いたしました。 by. HTベンジャミン (H13.6/21)
(大久保より) 久しぶりに、楽しいメールを頂きました^^;。 『ジャイアント・ロボ』のOAVは未見でした。 詳しい解説有難うございます。 ただ、例に挙げたような「自分が汚名を着る」場合は少数派でしょうし、 大抵は、隠蔽・自己欺瞞・合理化・視野狭窄・無知 からくる歴史の 改変でしょう。 私は、それらを「歴史教科書」とは言えないと思います。 > しかし、私はフォーグラーの考え方も一理あるのでは、と思います。 > 「公」的に有益ならば、「真実」を曲げてもいい、という結果主義も > アリなのではないか、と。 「真実」の重みを受け止めるのも、自己責任の1つですね。 知らない事により、免責されると確かに「楽」ですが、 それで人々が幸せになれるというのは楽観的過ぎると思います。 ある事象に対する「認識」の仕方が立場によって違うのは ある意味当然だと思います。 しかし、間違いだと意識しながら、敢えてそれを教えるとしたら、 それは「詐欺」でしょう。
こんにちは。 HPの「ゴー宣」の箇所、読ませてもらいました。 感想語っていいでしょうか? ジャイアンが「お前のせいだぞ、のびたぁ!」と声を荒げると、 その後ろから続く、スネ夫の「そうだぞぉ、のび太」。 このスネ夫の姿勢に、似ていますね。 よしりんの言葉や行動に乗っかって偉そうにふんぞり返ってみたり、 かと思えば中途半端なツッコミを入れたり、ちゃかしてみたりと、 評論にも芸にもなっていないですね。 そちらの立位置がよく分からないので、読んでいて気持ちが悪いです。 (どっちにも逃げられる様にしてある?) 決意ある「ゴー宣」を(なんにせよ)語るなら、そちらも決意を持ってどうぞ。 よしりんにも、そのファンにも失礼ですよ。 アンダスタン? 以上 by. ODA TADANORI (H13.2/21)
(大久保より) 「どっちにも逃げられる様にしてある」というのは、鋭いですね。 その通りです。 でも、これが今の私の正直な意見です。小林の言ってる事が正しいかどうか。 やってる事(ゴーマン)が正しいかどうか。 正しい部分もあるでしょうし、間違ってる所もあるでしょう。私の勉強不足で 判断できない部分もありますし、興味が無いので、どうでもいい部分もあります。 (と言うか、歴史には元々興味が薄かった。) そういう、「どっちつかず」も、わりと正直に書いているつもりです。 そういう「感想」を正直に書くのが、「失礼」ですか? もう1つ、確固たる決意が無ければ発言してはいけないという、世間の 無言の圧力に対して、異議を唱え、 「取り敢えず、走りながら考える」「まず、行動(発言)してみる」 というのが、特に初期の『ゴーマニズム宣言』のスタンスであったと思うし、 私はそういう部分に、惹かれたのです^^;。 「口は禍の門」「物言えば唇寒し秋の風」これらは、日本人の美質であると 共に、悪癖でもあると思うのです。