今回は、よしりん企画の社員紹介。最後の「ゴーマン」は、無理矢理
くっ付けた感じ。本来は、内輪の恥や社員評価である事すらよーしゃなく
公開してしまうという事を言いたいのであろう。
「八宝菜事件」なんて、普通外部に発表なんてしないです。
こういう所で働くのは、相当の覚悟がいるな^^;
今回のゴーマン
今回は、共同体の回復について。
まず導入部は、「戦争論」から。
「断っておくがわしが今描いている『戦争論』「侵略か否か?」とかあの戦争の
知識や解釈を絵解きするようなダサイものは描いてないその辺オヤジが期待
したってムダだ」どうやら、
「第34章 南の島に雪が降る」
のような物語を描いて、読者をじっちゃん達に感情移入させるようなものの
ようだ。客観では無く主観やね。主観である事を意識している以上問題はない。
客観のふりをしているよりは、ましである。
そこから、アダルト・チルドレンについて。「まるで星占いや手相や血液型の
ようだな」「自分のくだらなさを家族のせいにして安心してどーする?」
まぁ、精神分析は「自分の精神を知れば対処できるはずだ」という「幻想」に
拠ってる所がありますからね。ただ、こういうのは「自分のくだらなさを
人のせいにして安心する」ためというよりも、家族が自分の息子の心的外傷
(トラウマ)を理解し、改善する時に有効なんだと思う。その意味では
的外れな解釈。
小林自身、時浦くんの更正物語を、父親の抑圧からの解放と「分析」
をしていますしね。その時に、家族という共同体から「よしりん企画」という
共同体を持った事が彼にとってプラスに働いたとしている。
「アダルト・チルドレン・・・そんな新奇な病名に自分を当てはめて納得する
心の裏には「本当の自分探し」の自己愛が潜んでいる。本当の自分をカウンセリングや
自己啓発セミナーインチキ宗教で発見した気になってもしょうがない。それらは
すべて一時的なかりそめの共同体にすぎない」
そういう事を言うと、家族も含めて全ての共同体はかりそめになってしまうが・・・。
オウム信者が、未だに離れられないのは「かりそめ」にはしたくないからだろう。
「今、自分のそばにいる人々との間に信頼を回復する努力をするしかない
心を割って話せる友人や恋人や家族を見つける。長い期間かけて信頼を醸成していく
数日・数ヶ月でインスタントに共同性はでき上がらない。」
数日・数ヶ月でインスタントには関係性は生まれないのは確かだ。
「人との関係性を疎ましがって自由がいい解放されたい個人だけでいいと
叫んでいてもそんなに人は強くない。そんなに人は強くないじゃないか!」
これも、確かに。この辺は、今後掘り下げていって欲しい所だ。
今回のゴーマン
「日常は退屈ではないよ。かならず輝く日も来る。
クサイこと承知であえて言おうか・・・」
「いや、きみは今も輝いているんだから。」
今回は、王室の物語とダイアナについて。
「イギリスの世論は王室に批判的で王室の危機だとマスコミは言うが、わしには
イギリス国民が相当王室に関心を持っているように見える。
それは日本の比ではない」
確かに、今の日本人で特に若い人で天皇陛下を
意識してる人はほとんどいないでしょうね。議論にもならない。「物語としての
皇室」自体が必要とされていないのでしょう。その代わりに膨大な物語が日々
量産されていく。「ゴーマニズム宣言」も例外ではない。
「わしをこきおろしてストレスを発散する者、わしの悪口で商売する者たちの
ためにもわしは強力に存続してやらねばならない、憎まれるのも王の役割だ」
なかなかこういう覚悟は出来ないものです。こういう態度に反発する人もいる
でしょうが、私は支持します。
「階級制度なんかあっちゃダメだと。・・・けれど、それがあるから面白いんだと
本心では思っている。」
・・・本当か?階級制度があって、貴族に自分が成れるの
なら良いが、下層階級になる確率の方が高いのに?今の皇室や王室は前近代の貴族階級
とは全然違う国民に管理された「近代的な」貴族だから勘違いしてるだけなのでは?
「パパラッチは生活かかっているから危険な仕事をしてるやつらだ。
それを前提にモラルの線引きを考えねばならない。」」
王室のスキャンダルを追い掛け回して、自分の身を危険に晒すならともかく相手を
死に追いやるような奴等がプロだとは思えないのだが・・・。
危険を顧みずにやれる有意義な仕事は他に幾らでもあるだろうに。
今回のゴーマン
今回は、須磨・小学生殺害事件についてパート2。
最初に、いじめられ「いつでも人を殺せる」という思いでかろうじて自我を
保っていた読者の手紙の紹介から。
「人は人との絆が断たれた時己の弱さを隠すために殺意への憧れを持つこと
がある」
「人間は「信頼」を知れば強くなれます。」。
ここから、酒鬼薔薇の母親の供述から、酒鬼薔薇の幼児体験に母親との「信頼」を
断ち切った事件があったと推論し、そこから独自の「酒鬼薔薇に関する物語」を
紡ぎ出す。
三島由紀夫が、放火犯人の坊主の「金閣寺があまりに美しすぎたので放火した。」
という供述から、名作『金閣寺』という物語を紡いだように。
ここに描かれた物語を、実在の「酒鬼薔薇」と混同する事は危険だと思う。
しかし、前回小林が言ったように、
「人間の物語への希求を甘くみてはいけない」のも事実だ。そして、
『金閣寺』に書かれている人間像が重要であるように、小林の描く「酒鬼薔薇」像も
重要である。
「・・・ここまで来てたら普通「狂ってる」と言っていいのだ・・・」
「・・・けど最近はだれもかれもが似非インテリ化して「狂人」の理屈まで懸命に
言葉で解き明かそうとしたがる」
「人の心の闇まですべて照らし出さなねば気が済まない合理主義の病に日本国中
が冒されてしまった」
灰谷健次郎氏批判。
「天使のはずの子供に狂人などいるはずないとその殺し方のすさまじさを忘れて
子供の人権を守るべきだと唱える者までいる。」
灰谷さんは、少年法を勝手に無視して顔写真を載せる事は、法治国家として
許される事ではないとして批判しているのだと思うが。小林は、後で出てくるように
「加害者の人権など認めん」のかな?確かに、「オウム」の時に警察(法)を信頼して
いたら殺されてたかも知れないからね。法というものを信じてないのかもしれない。
宮台真司批判。
「すっとぼけた学者は・・・・・・どこまでもどこまでも無意味な理屈で暴走する
狂っている」
あいかわらず、宮台さんが嫌いなようで^^;。「無意味な理屈で暴走する」=
「狂ってる」で、意味の整合性が合うかな〜?
西部邁・柳美里批判。
「進歩的文化人もダメなら相対主義的知識人もカス。だからと言って保守思想家
は人権主義を挑発し家族の大切さを訴えたいあまり「親の顔も出せ」とまで無慈悲を
言う。」
「・・・奇をてらえばいいてもんじゃなかろう・・・大体親を引きずり出して直接聞かなきゃ事件の真相は分からないとぬかすような思考をさぼる怠慢女に言論をやる資格すらない!」」
しかし、やはり真相は本人や家族の口から聞かなければ分からない事もあると思うぞ。
今回の小林の「酒鬼薔薇に関する物語」の糸口も、母親の供述からだし。しかし、
両親が警察でもない「世間」に対してわざわざ釈明しなければならない理由は無いと
私は考えるが。「法」によって然るべく処置される事によって、「世間」は少年に制裁
と更正を行っている訳だから。
「あの少年の両親が・・・兄弟が・・・今ごろどれほどの地獄を味わってるか・・・!」
「・・・わしは加害者の人権など認めんが慈悲の心くらいはある。
「加害者の親も許さん」と言えるのは被害者の親くらいしかいないはずだ」
この論理だと、「加害者を許さん」と言えるのも、被害者の親と多くても周辺に住んでいて不安な日々を送った人だけという事になる。「オウム」も、殺されかけた小林と
サリンなどで殺された人達の肉親だけが「許さん」と言える事になる。「慈悲の心」も
両親には向けられるが「加害者」には向けられない理由がいまいち分からない。
「ましてやこの少年・・・もともと脳神経がイカレやすい人間だったりしたら障害児
を産んだ親を責めるようなもので」
「脳神経がイカレやすい人間」って、珍しく回りくどい言い方ですね。今回も
「狂ってる」とか「狂人」という言葉は使ってるのにね。
「・・・そんなことやってたらみんな子供を産むのが恐くなってしまう。ますます
家族共同体の危機だ」
こういう理屈で家族共同体の危機を訴えるのは、ちょっと変わってて面白い^^;。
今回のゴーマン
「この世に生を受けた意味を潜在意識下に教えることが親の仕事だ
世間の皆様に殺人者に育てぬ方法を教えることなどあの親の仕事ではない」
今回は、「新しい教科書を作る会」について。
「バカヤロー、わしがいるじゃねーか!」
小林は、大東亜戦争肯定論者である事をはっきり言明しました。
「負けが見えてた無謀な戦争。しかし、やって実もあった大した戦争。」
この辺をもっと詳しく説明して欲しい。
「ルールを守っててもくだらねーことしか言えないおまえらのような連中も居りゃ、
「ルール違反」でも拍手かっさいのわしのような「稀人」もいる」
「人間ってのは平等じゃないんだよ、きみたち」
相変わらず、過激です。でも、その通りだったりする^^;
今回のゴーマン
「サヨクはどーせバカだから今回、保守の側をまとめて斬ってみた」
「おまえら何を保守してんの?プライドか?つきあいか?」
「いや、やっぱり現行の自虐教科書を保守してんだよな」