ゴーマニズム宣言の感想

(第165章〜第169章)

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mark 『第165章 戦後生まれがアメリカに受けた屈辱』
(「SAPIO」 5月22日号)

今回は、「脱脂粉乳」とアメリカの日本への食糧政策について。8ペ−ジ。


(本文、まだです。)



「日韓併合は悪い事だが、日本統治時代には、良い事もした」と、同じように「アメリカの占領政策(日本の骨抜き)は、悪い面もあるが、日本の民主化にとって良い面もあった」と言う事だと思う。

当時の栄養状態の悪い子供に、「アメリカの余り物」である脱脂粉乳は、確かに在庫処理や「パン食化」への移行の意味合いもあっただろうが、それによって栄養状態はずいぶん改善されただろう。

因みに、私の朝食は、ご飯と味噌汁です。

日本人だって、古着を援助物資として第3国に送ったりもしている。


(備忘)
フランス大統領選挙で、極右(極端に右翼?)と言われる人物が決選投票まで残る。

EU大連合による、ヨーロッパの均質化と外国人の流入に対する反発から、極端に民族主義的な言説が支持される下地があったようだ。

日本も、最近の不安定な世界情勢、先の見えない不況もあいまって、社会不安が増大してきており、保守のカリスマを求める空気が醸造されつつあるように感じる。10年後、元小説家の石原慎太郎に続き、漫画家のカリスマが、政界に進出し、かつ支持される可能性は十分にあると考える。


今回のゴーマン
韓国人のように 恨みを相手国に延々と 言い続けることは、 日本人の美徳ではないが、 心中深く、 忘れてはならぬことはある。
ごーまんかましてよかですか?
1965年前後まで 小学校の給食で 育った世代は、 アメリカの 「家畜」あつかいされて 何とも思わないか?
今後もアメリカの 家畜として生き、 アメリカの 汚物か毒物の 「はけ口」として 待機しているか?

(柱の言葉)
・ 「脱脂粉乳に始まり、小麦、牛肉そして米へと続くアメリカの食糧戦略とそれによる恥辱を忘れるな!

(おまけ)
・ 「奈良に行ったが、ふざけたことに、足がしびれて歩けなくなった。歩けないんじゃ、何も見られないので、帰った。ちくしょ〜〜〜〜、運動してやる!



mark 『第166章 小林を排除せよと叫ぶ西尾ポチ』
(「SAPIO」 6月12日号)

今回は、2本立て。1本目。西尾幹ニ批判、8ペ−ジ。

「つくる会」の盟友であった、西尾幹二を徹底的に批判しています。

「似顔絵は卑怯だ」という発言を受けて、
今後、この2人(大久保注:西尾幹ニ、石井英夫)と 左翼の上杉聰の 似顔絵は描かない。 ベタでぬりつぶして 記号にする。

1.ここでいきなり、上杉聰が出てくる理由が書かれていない。
2.いまさらベタにしても、似顔絵のイメージを消し去る事にはならない。むしろ、別の意味を付加するだけ。
3.批判されて、似顔絵を描く事を止めたら、相手に屈した事にならないのか?

その後、保守系団体から排除されても、メリットこそあれデメリットは無い。という主張。
ベタで塗りつぶされていても、活き活きと描かれた2人^^;。

しかし、もしわしが こう言ったら、 ポチ・ホシュらは どう思うのだろう?
わしを 使いたければ、 西尾・石井を排除しろ!
わしを使えば、 部数は数万 アップするぞ!
そもそも言論誌に わしの漫画を 載せれば、 たちまち会社の 利益は上がるのだ!
シンポの客は、 数百、数千人も 増えるぞ!
当然、実際そう思っているのでしょう^^;。

まったく不思議である。 アメリカのような 弱肉強食社会に適応できる わしが、堂々と反米を言い、
日本の村社会でしか 生きていけぬポチ・ホシュが、 アメリカについての箝口令を 敷こうと奮戦している。 新米を装うために。
そんなバカがいるから、 いつまでたっても日本人は アメリカと対等になれない。
そういう、アンビバレンツ(二律背反)な所が、人間の面白いところでしょうね。

「戦争は悪」という ドグマの左翼。
「テロは悪」という ドグマのポチ・ホシュ。
どっちも 究極の バカ である。
小林の似顔絵が、「吹き出し」で完全に隠れてしまってます^^;。小林の表情が全く分からない。これは、完全にコマ構成の失敗でしょう。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
ポチ・西尾を支持する 保守系団体は、 小林よしのりを排除して 一向に構わない
ポチ・ホシュと 袂を分かって 本当に良かった。

(柱の言葉)
・ 「さらば「新しい歴史教科書をつくる会」!ゴーマニストは新たな旅に発った
どこかで聞いたような、言葉だ…。



mark 『第167章 奈良の鹿を見て考えたこと』
(「SAPIO」 6月12日号)

今回は、2本立て。2本目。タイトル通り、「奈良の鹿を見て思ったこと」、8ペ−ジ。

渡部昇一との対談本『愛国対論』(PHP研究所)の宣伝。

だがそれ以前に、 「資本原理主義」化した アメリカは、今後、 次から次に戦争を 起こしていって…
世界は 野蛮な時代に 突入していくのでは ないかと、わしは 懸念するのだ。
アメリカの星条旗の「赤い部分」が、メタモルフォーゼ(変態)して、「黒い兵士」になり世界を滅ぼすイメージ。このコマの絵は、非常に躍動感と創造性があって素晴らしい。

「わしズム」を見て、心配したお父さんからの電話。

わしのじゃないの! ちがうの! わしは ナルシストじゃ ないの! 三島由紀夫 じゃないってば!
クーデター? まだ やんないってば!
さしものゴーマニストも、お父さんにはタジタジのようです^^;。
しかし、さりげなく(?)「三島由紀夫」「クーデター」というキーワードを残しています。

益荒男が 手挟む太刀の 鞘鳴りに 幾年耐えて 今日の初霜
散るを厭う 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
< 三島由紀夫 辞世の句 >

(*) 因みに、「文武両道」を標榜した三島由紀夫の「武」の部分が上段の句。
「文」の部分を顕わしたのが下段の句だと、私は考えています。

『わしズム』なのだから、 わしが独断でやる。
しかし、 読者の感想は 頭に入れておく。
わしの意図が 伝わったかどうか、 すごく参考になる。

例えば、わしのフィクション 『夫婦の絆』は、 予想以上に評判が高い。
今はまだ ひかえめに 言っておくが、 この漫画 成功するかも しれない。
フォントも小さめで、本当に控え目です。でも、手応えは感じているようです。自分で納得するかどうかよりも、読者のアンケートを気にする所は、『少年ジャンプ』出身の小林らしい。

奈良観光の途中で、歩けなくなった話。

鹿っていいね。
(中略)
な〜〜〜〜〜〜んも 考えてないよ、確実に。
わしは泣けたね。
むしょ〜〜〜〜〜〜に、泣けた。

今回のゴーマン
わしは マッチョに なりマッスル!
ごーまんかましてよかですか?
わしの戦いの 新しい幕が上がった。
感性の 鋭い者たちは 見届けよ!
結局、奈良で「思ったこと」とは、「体を鍛えて、マッチョになる!」という事だけでした^^;。

(柱の言葉)
・ 「草食ってぽろぽろフンをするだけの奈良の鹿。なーんも考えていない人生ってやっぱりむなシカ!?
その鹿と古代から付き合ってきたのが、奈良の人々であり。太古の日本人なのだが…。

(おまけ)
・ (欄外情報)『わしズム』2号では、さらに1本小林の漫画を掲載。
・ (欄外情報)北朝鮮亡命者の問題については、「人権問題」ではなく「国家主権の問題」だけであるという主張。この件については、いずれ描かれるであろう。
第165章第167章には、「応援レター」掲載なし。



mark 『第168章 瀋陽総領事館とメディア規制法』
(「SAPIO」 6月26日号)

今回は、中国・瀋陽総領事館で起こった北朝鮮亡命者問題について(前号の「欄外情報」の拡張版)。

(前号の欄外情報)
中国の日本領事館の事件は、「主権侵害」が問題なのであって、「人権」の問題ではない。「人権」が問題なら、今すぐ北朝鮮の体制をつぶすべき空爆して、数百万人の飢えた人々を救え! 「主権」が侵されたことだけが問題なのだから、教科書・靖國問題と通じており、北朝鮮のら致家族の問題とも通じている!

まず、西部ジュニアの開店した店「ゼフィーロ」の宣伝。
スペシャル・バージョン『新・ゴーマニズム宣言』11巻「テロリアンナイト」の宣伝。6月19日発売。

やはりまだ、わし単体の 『新・ゴー宣』の方が 『わしズム』より売れると いうことになる。
わしの敵は やっぱり、わしだ!
漫画家のわしと 編集長のわしが、 これから熱く 闘うことになるだろう。
…^^;。

さて、中国の瀋陽総領事館の 亡命者拉致事件について、 「杉原千畝を見習え」と 論ずる者がいる。
この論を「論ずる者」が誰なのか私は知らないし、明示もされていないが、以降はこれに対する反論の形でなされている。

そもそも、たった5人の 亡命者の「人権」が 異様にクローズ・アップされ、 同情されているが、
それは テレビに映った からにすぎない。
北朝鮮では 数百万の飢えに苦しむ 民がいるし、
(中略)
「人権」は まともな国家が あって、ようやく 保障されるもの であり、
国家が 機能していない 地域では 人の権利なんか 保障されない。
これはその通り。ただ、敢えて反論するならば、中国は「国家が機能していない」訳では無いし、総領事館は「日本国」なので、それをみすみす見逃すのは、「日本が国家として機能していない」と言う事になる。

「杉原千畝」は、「ヒューマニズム」ではなく「国益」によりユダヤ人にヴィザを発給したという説。ただ、小林の主張は一貫性が無いように思う。

・ 「超法規的」にヴィザを発給した事と、「超法規的」な旧・日本軍の行動とを同列に扱っている。
・ 「国益」の為の行動と言うが、どの辺が「国益」に適う行動だったのか判らない。

『猶太(ユダヤ)難民と八紘一宇』(展転社)より
「陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか、 それとも温情をかけられるだろうか。 そう考えると、結果ははっきりしていました。
これは、「天皇の考え = 国益」と言う事だろうか。「天皇のヒューマニズム?」。しかも、「= 天皇の考え(だと勝手に判断した内容)」 だし…^^;。

三島由紀夫の考えと50歩100歩ですね。

杉原の、こういう 一面を隠してしまう。
(中略)
法を超える 価値がある。
ただし、それは 人権や ヒューマニズム ではない。
(中略)
ある時代には それを天皇が 象徴していた。
「ある時代には、天皇が「法」を象徴していた。」では、無いか?。「征夷大将軍」も、天皇の任命だったし、明治憲法も天皇が発布した「法」であった。

それと、「ある時代には」と書かれているが、小林の考えでは「現在も」、法を超える価値は「天皇が象徴している。」と考えているのでは無かったのかな?。違うのかな?。

「メディア規制法案」に反対するマスコミ批判。

(*)「メディア規制法案」=今国会で提出されている「個人情報保護法案」「人権擁護法案」
および「青少年有害社会環境対策基本法案」「児童ポルノ・児童買春禁止法改正案」の事。
特に、ここでは「個人情報保護法案」の事を指していると思われる。

あらゆるメディア、 ジャーナリスト、 表現者が、 「法に守られてしか 真実は言えない」 と、表明しているの だ!
この論旨も承服しかねる。「言論の自由を規制する法案に反対する事」=「法に守られてしか、発言できない」とは言えないでしょう。もし、法案が通っても逮捕・罰金を覚悟で発言をする人はいるでしょう。もちろん、犯罪者になりたくない為に発言を自粛する人も出るでしょうが。

そんな「覚悟」のない連中が、 今回の瀋陽総領事館の事件で、 外務省を「腰抜け!」と 批判しているのである。
その上、杉原千畝の 名まで出す。
それは、法を犯す 覚悟まで求めている ことになる。
「杉原千畝の名前を出した人」を、マスメディアを代表する意見のように持っていこうとしているようですが、この辺に私などは引っ掛かる。そんな主張が主流派なのだろうか?

後、小林が、「無責任なマスメディア」が、いざ自分たちが規制されそうになると大騒ぎしている様にイライラしているのは判るが、これらの法案の問題点は「マスメディア」だけに止まらない広範なものであり、「敵の敵は味方」のような考えで賛同して良いものか?と愚考する。

今回の事件は、「主権の問題」であるという主張。その通りだろう。

泣く幼児に同情する「ヒューマニズム」の問題ならば、教科書・靖國問題も幼児が泣き叫ぶ映像を流せば良いのか!?という主張。面白い。
でも、「国民感情」などと言うものは、得てしてそういう感情に左右されるものなので、案外有効な方法論かもしれない。

わしの全面勝訴となった。
当たり前である。
「にがお絵で、人の顔を 悪く描くことは許されない。 罰金である。タイホする」 なんて法律が、できたら 暗黒の時代の到来である。
「人を悪く書いたら、罰金である。タイホする」という法律が「メディア規制法案」なんですけども…^^;。

たとえ、法が「にがお絵で 公人を批判してはならぬ。 論敵を悪く描いてはならぬ」 と、言ったとしても、
わしは、 「公のために描かねばならぬ」 と決めたら、 逮捕されても描くだろう。
「覚悟」があるのは、良い事だと思う。でも、ここでも「公の為になる(と小林が勝手に考えた事)」という限界はありますが。

皆、「自分だけの真実」を追求してゆくしかないと言う事でしょうが。

今回のゴーマン
にがお絵での批判を 封じるのは、 独裁者か、 全体主義者を 歓迎する者たちに 違いない。
ごーまんかまして よかですか?
外務省にも メディア商売の者にも 言っておく。
法を守るのは 当たり前である。
法を破る 覚悟は ないのか?
「覚悟」は、必要でしょうね。何をするにしても。

(柱の言葉)
・ 「それにしても国益を損ねる外務省のチャイナ・スクールの連中はまさに「国賊」だ!

(欄外情報)
・ 「「サイゾー」という雑誌に、わしのインタビューが載ったので、たまたま宮台・宮崎の対談を読んでみると、かなりの部分、納得できる。右とか左とか、自分の立ち位置にばっかり、こだわらんでもいいやんけ。自分がどう見えるかなんか気にせずに、一気に、こっちに来いや。
宮台真司、宮崎哲弥の事でしょうね。「こっち」って、どっち?^^;。「たまたま」…ね。
逆に、小林の方が「あっち」に行くと言う事は…無いか。



mark 『第169章 「国立追悼施設」をつぶせ!』
(「SAPIO」 7月10日号)

今回は、「国立追悼施設」について。8ペ−ジ。
珍しく歯ごたえが無い。やはり、足の痺れのせいかな?

だって、わし 今、足がしびれて びっこひいて ましゅもの!

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びっこ【跛】

1.一方の足が正常でなく、正しく歩行できないこと。また、その人。「びっこを引く」
2.対(つい)であるべきものの形や大きさがふぞろいなこと。
『国語大辞典(新装版)』(小学館 1988)より
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死者の霊魂を 信じるという 宗教心の 前提があって、 「追悼」という言葉も 出てくるのだから。
「追悼」するには 何らかの宗教儀礼がいる。
それを花でも捧げて 両手を合わせておけばよかろうと 高を括っていたら、 カルト宗教にしかならない。

この問題は、私もずっと疑問だったのですが、
「霊魂を信じる」 → 「追悼」との事だが、本当にそうだろうか?
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つい‐とう【追悼】

 亡くなった人の生前をしのび、いたみ悲しむこと。
『国語大辞典(新装版)』(小学館 1988)より
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「死んだ人の思い出は、残された人の心に残る」

これは、真実だと思う。これを、「偲び」「悼む」のに、「霊魂を信じる」必要などあるだろうか?

「このお墓に、おじいちゃんがいるのよ。」と、子供に教えて、手を合わす事を教育する親は、「霊魂」の存在を信じているのだろうか?

「天皇一神教」が、「カルト宗教」よりも優れている理由などあるのだろうか?
ままならぬ世の中にあって、宗教は、すべからく「カルト」であり「救い」であるのではないのか?

世間との折り合いをつけて居場所を確保した「旧・宗教」と、居場所を確保していない(又は、する気が無い)「新興宗教」。その程度の差だと思う。

それに比べて 靖國神社には いつも参拝客が 絶えない。
靖國神社は 日本人の慣習として 定着してしまった 魂との出会いの場なのだ。
そう思う人は、お参りすれば良いと思う。「日本人の慣習として 定着してしまった」かどうかは、よく知らないので判らない。少なくとも、その「日本人」に、私は含めて欲しくない。

私は、春日大社の方が、よくお参りに行きます。参拝客も絶えてないですね。鹿との出会いの場。

「国立追悼施設」など、 全く無駄な 公共投資なのである!
そんなものに 税金を使うことは 許されない!
「無駄だから」というのは、「反対」の理由としては、少し後ろ向きな気がします。

太平洋戦争で戦死した人の遺族が、靖國神社に参拝するのは理解できます。しかし、「家の墓」ではなく、「国家の墓」を望む気持ちには、「犬死ではなく、国家の礎となった名誉の戦死であった。」という物語を欲しているという事でしょう。気持ちは判りますが、別の物語に縋る方策を考えるのも一つの手では無いかと…。

そう言えば、原爆の被害者の慰霊碑。あれは、国家神道とも、特定の宗教とも無関係では無かったですかね?
それでも、今も被害者の無念を思って、手を合わせる人が絶えないですね。

もっと言えば、誰にも悼んで貰えない名も無い死者(戦争の被害者以外でも)も、大勢います。

なぜ、靖國神社だけを特別扱いするのか。戦死した軍人だけを特別扱いするのか?…正直に言って、よく判らない。

今回のゴーマン
ごーまんかましてよかですか?
「国立追悼施設」という ムダな公共事業の 計画を進めている やつらがいるぞ!
注目 していろ!
監視を 怠るな!

計画を進める人達を、「悪の軍団」か「心の無いカルト集団」のように描いています。

監視を 怠るな!

(柱の言葉)
・ 「小泉首相よ、特攻記念館で流した涙が本物なら「国立追悼施設」にNOと言うべきだ!

(おまけ)
・ 今回は、「応援レター」の紹介は無し。


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