今回は、「脱脂粉乳」とアメリカの日本への食糧政策について。8ペ−ジ。
今回は、2本立て。1本目。西尾幹ニ批判、8ペ−ジ。
「つくる会」の盟友であった、西尾幹二を徹底的に批判しています。
「似顔絵は卑怯だ」という発言を受けて、
「今後、この2人(大久保注:西尾幹ニ、石井英夫)と 左翼の上杉聰の 似顔絵は描かない。 ベタでぬりつぶして 記号にする。 」
1.ここでいきなり、上杉聰が出てくる理由が書かれていない。
2.いまさらベタにしても、似顔絵のイメージを消し去る事にはならない。むしろ、別の意味を付加するだけ。
3.批判されて、似顔絵を描く事を止めたら、相手に屈した事にならないのか?
その後、保守系団体から排除されても、メリットこそあれデメリットは無い。という主張。
ベタで塗りつぶされていても、活き活きと描かれた2人^^;。
「しかし、もしわしが こう言ったら、 ポチ・ホシュらは どう思うのだろう?」
「わしを 使いたければ、 西尾・石井を排除しろ!」
「わしを使えば、 部数は数万 アップするぞ!」
「そもそも言論誌に わしの漫画を 載せれば、 たちまち会社の 利益は上がるのだ!」
「シンポの客は、 数百、数千人も 増えるぞ!」
当然、実際そう思っているのでしょう^^;。
「まったく不思議である。 アメリカのような 弱肉強食社会に適応できる わしが、堂々と反米を言い、」
「日本の村社会でしか 生きていけぬポチ・ホシュが、 アメリカについての箝口令を 敷こうと奮戦している。 新米を装うために。」
「そんなバカがいるから、 いつまでたっても日本人は アメリカと対等になれない。」
そういう、アンビバレンツ(二律背反)な所が、人間の面白いところでしょうね。
「「戦争は悪」という ドグマの左翼。」
「「テロは悪」という ドグマのポチ・ホシュ。」
「どっちも 究極の バカ である。」
小林の似顔絵が、「吹き出し」で完全に隠れてしまってます^^;。小林の表情が全く分からない。これは、完全にコマ構成の失敗でしょう。
今回のゴーマン
今回は、2本立て。2本目。タイトル通り、「奈良の鹿を見て思ったこと」、8ペ−ジ。
渡部昇一との対談本『愛国対論』(PHP研究所)の宣伝。
「だがそれ以前に、 「資本原理主義」化した アメリカは、今後、 次から次に戦争を 起こしていって…」
「世界は 野蛮な時代に 突入していくのでは ないかと、わしは 懸念するのだ。」
アメリカの星条旗の「赤い部分」が、メタモルフォーゼ(変態)して、「黒い兵士」になり世界を滅ぼすイメージ。このコマの絵は、非常に躍動感と創造性があって素晴らしい。
「わしズム」を見て、心配したお父さんからの電話。
「わしのじゃないの! ちがうの! わしは ナルシストじゃ ないの! 三島由紀夫 じゃないってば!」
「クーデター? まだ やんないってば!」
さしものゴーマニストも、お父さんにはタジタジのようです^^;。
しかし、さりげなく(?)「三島由紀夫」「クーデター」というキーワードを残しています。
今回は、中国・瀋陽総領事館で起こった北朝鮮亡命者問題について(前号の「欄外情報」の拡張版)。
(前号の欄外情報)
「中国の日本領事館の事件は、「主権侵害」が問題なのであって、「人権」の問題ではない。「人権」が問題なら、今すぐ北朝鮮の体制をつぶすべき空爆して、数百万人の飢えた人々を救え! 「主権」が侵されたことだけが問題なのだから、教科書・靖國問題と通じており、北朝鮮のら致家族の問題とも通じている!」
まず、西部ジュニアの開店した店「ゼフィーロ」の宣伝。
スペシャル・バージョン『新・ゴーマニズム宣言』11巻「テロリアンナイト」の宣伝。6月19日発売。
「やはりまだ、わし単体の 『新・ゴー宣』の方が 『わしズム』より売れると いうことになる。」
「わしの敵は やっぱり、わしだ!」
「漫画家のわしと 編集長のわしが、 これから熱く 闘うことになるだろう。」
…^^;。
「さて、中国の瀋陽総領事館の 亡命者拉致事件について、 「杉原千畝を見習え」と 論ずる者がいる。」
この論を「論ずる者」が誰なのか私は知らないし、明示もされていないが、以降はこれに対する反論の形でなされている。
「そもそも、たった5人の 亡命者の「人権」が 異様にクローズ・アップされ、 同情されているが、」
「それは テレビに映った からにすぎない。」
「北朝鮮では 数百万の飢えに苦しむ 民がいるし、」
(中略)
「「人権」は まともな国家が あって、ようやく 保障されるもの であり、」
「国家が 機能していない 地域では 人の権利なんか 保障されない。」
これはその通り。ただ、敢えて反論するならば、中国は「国家が機能していない」訳では無いし、総領事館は「日本国」なので、それをみすみす見逃すのは、「日本が国家として機能していない」と言う事になる。
「杉原千畝」は、「ヒューマニズム」ではなく「国益」によりユダヤ人にヴィザを発給したという説。ただ、小林の主張は一貫性が無いように思う。
・ 「超法規的」にヴィザを発給した事と、「超法規的」な旧・日本軍の行動とを同列に扱っている。
・ 「国益」の為の行動と言うが、どの辺が「国益」に適う行動だったのか判らない。
『猶太(ユダヤ)難民と八紘一宇』(展転社)より
「「陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか、 それとも温情をかけられるだろうか。 そう考えると、結果ははっきりしていました。」
これは、「天皇の考え = 国益」と言う事だろうか。「天皇のヒューマニズム?」。しかも、「= 天皇の考え(だと勝手に判断した内容)」 だし…^^;。
三島由紀夫の考えと50歩100歩ですね。
「杉原の、こういう 一面を隠してしまう。」
(中略)
「法を超える 価値がある。」
「ただし、それは 人権や ヒューマニズム ではない。」
(中略)
「ある時代には それを天皇が 象徴していた。」
「ある時代には、天皇が「法」を象徴していた。」では、無いか?。「征夷大将軍」も、天皇の任命だったし、明治憲法も天皇が発布した「法」であった。
それと、「ある時代には」と書かれているが、小林の考えでは「現在も」、法を超える価値は「天皇が象徴している。」と考えているのでは無かったのかな?。違うのかな?。
「メディア規制法案」に反対するマスコミ批判。
今回は、「国立追悼施設」について。8ペ−ジ。
珍しく歯ごたえが無い。やはり、足の痺れのせいかな?
「だって、わし 今、足がしびれて びっこひいて ましゅもの!」
----- びっこ【跛】 1.一方の足が正常でなく、正しく歩行できないこと。また、その人。「びっこを引く」 2.対(つい)であるべきものの形や大きさがふぞろいなこと。 『国語大辞典(新装版)』(小学館 1988)より -----「死者の霊魂を 信じるという 宗教心の 前提があって、 「追悼」という言葉も 出てくるのだから。」
----- つい‐とう【追悼】 亡くなった人の生前をしのび、いたみ悲しむこと。 『国語大辞典(新装版)』(小学館 1988)より -----