今回は、判決間近の著作権裁判「敗訴確実」を前にして、先手を打って読者に楔を打っています^^;。
さりげなく増12ページ。
「わしは今回 徹底的に 「私情」を排して この漫画のカットの 著作権問題について描いておく」
でも、後半になるほど「私情」が入り込んでくる^^;。
まず、「引用」の要件として「引用する側が主、引用される側が従」という原則を示す。
そこで、「藤田画伯事件」の判例を持ち出して
「東京高裁は 絵画と文章の違いを 明確に認め 引用される絵画に独立の鑑賞性が 認められる時には主従関係の バランスが崩れて引用は 認められなくなる……と判断した」
と、言っている。この後、この判例を元にあたかも文章と絵画では「引用」の基準が違うかのように論理を展開しているが、「引用する側が主、引用される側が従」という引用の要件は変わってないんですよね^^;。
この後、「ゴー扇(ゴーマニズム扇子)」や「ゴーマンポスター」等を例証に、
「このように漫画というものは (中略) たった1コマの絵やカットで 販売力に結びつく威力がある」
と言う。しかし、文字入りの扇子だってあるし、例えば万葉集や詩を書いた石碑なども珍しくない。つまり、「商売(威力)になる」という事と、「引用してはいけない」という事とは、実は直接関係無い。やはり、「批評・報道・その他として認められる範囲内での引用」は出来ると考えた方が自然。
そうでなければ、逆に「漫画は批評の為の引用が出来ない」という事になり、不自然。
「自分が文章で書かなけ ればならないところを カットをして 語らしめたのである だから上杉の文章から カットを取り除くと もう文章が成立しない」
えーーと、普通の引用ならそうなるのが普通だと思うのですが……^^;。
そうならない「引用」の例が思い浮かばない。
「そして今回 この点は特に 強調しておくが …」
「上杉はカットを 原本より 拡大して 載せている!」
拡大引用していたのは知りませんでしたが、この辺りの引用の仕方は、確かに雑ですね。
本文と別に引用欄でも設けて、縮小などして引用した方が誤解も無く、完璧に「引用」出来たと思います。小林側に勝訴の可能性があるとしたら、この部分でしょうね。
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(上記記述に対して、ご指摘を頂きました。↓)
> 本文と別に引用欄でも設けて、縮小などして引用した方が
> 誤解も無く、完璧に「引用」出来たと思います。
と書かれていますが、実際にはこの形のほうが、著作権法に照らして問題になる可能性が高くなります。
というのは、一般に引用においては、論説と引用部分の主従関係が問題になります。
このためには、論説と引用の関連が明確になっているかどうかが重要とされるのですが、その判断基準の一つとして「引用部分が、それと対応する論説に近接して採録されているかどうか」を見るのが普通です。
「脱ゴー宣」訴訟の1審判決でも、すべてのカットについて、対応する論説がそのカットと同じ、または前後のページに存在することを確認しています。
この観点から言うと、巻末注釈のような形で、本文と別に引用欄を設けることは、著作権の観点からは却って問題があることになります。
以上、さしでがましい話で恐縮ですが、ご参考としていただければ幸いです。
Jim Phelps
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「実は一審判決で 唯一 評価できる 部分があった それは…」
「「引用」した57点の絵について 上杉が文章で批評した 部分を裁判官が全て 指摘してくれていたのだ! 例えば こういう具合に…」
ここで、例示されている範囲でしか知らないのですが、これは「絵」の説明を(上杉が)している部分を指摘しているように思えます。それ以外の部分も、「引用」したコマから派生した「批評」をしていると思います。
小林は、「絵の批評」に拘ってるようですが^^;。
「それ以外の文章が いくら長々あっても 絵の批評とは関係ない 一審判決で 批評部分は はっきり認定している」
やっぱり、「絵の批評」に拘っている^^;。
「被告(上杉)書籍中の原告(小林)カットに関する記述内容」
どうも、この一審判決内容を、「カットに関する記述内容」→「絵の批評部分」と誤読したと思われる。この後も、それを元に議論している。
「さて 絵の改ざん に至っては もう論外であろう」
まぁ、改竄の是非はともかく、ここで「改ざん・検閲 やり放題」の例として目隠しされているカットは、柳美里・宮崎哲弥・宮台真司・江沢民・上祐史浩・糸圭秀実etc.etc.。……多分、これが小林自身が「醜く描いた」という自覚のある人物なのでしょうね^^;。西尾幹二のカットに目隠しを入れるのは、流石に躊躇われたのでしょう。墓穴を掘ってるような気も…^^;。
「103章でわしは 一審判決を 「前例踏襲主義 で 強引な 判決文を作った」 と批判したが それは違っていた」
「むしろ 「藤田画伯事件」 の前例に 従ってくれていれば よかったのだ」
「一審の判決は 前例破りであり 判例の変更 だったのだ!」
「前例破り」が、もの凄い悪い事のようにイメージ操作してます。
103章では、前例踏襲主義を悪いイメージで描いてますから、この辺の変幻自在さは、流石プロフェッショナルという所ですね^^;。
そして、「著作権法学会」シンポジウムでの、意見交換の場での東京地裁部長判事・飯村敏明氏の発言を元に、「判例の変更」理由を推理する。
「私はこの裁判に直接 関与したわけではないが 要件を緩和したのは」
「目的に 根拠があった と思います」
「なんと…上杉の 批評の目的に 根拠があった!」
「批評目的が 「従軍慰安婦問題」に関する 小林よしのりの意見を 批判するためだったから 要件を緩和した!」
言い切ってますが、飯村部長の発言からここまで導くのはかなり無理がありますね。
ただ単に、「(批評)目的なら、正当な範囲で引用できる」と言ってるだけの様に思えます。
「これはもう本来の 漫画カットの 引用における 著作権裁判から 完全に ズレている!」
(中略)
「ある意味 漫画界にとっては 朗報でもあるし わしも安心した 面もある」
(中略)
「しかし どうしても どうしても わしには 重大な疑念が 残るのだ つまり…」
(中略)
「論争やってる 限りは わしの著作権 だけは どう 踏みにじっても かまわない ってことか?」
盛り上がってますが、実際は「わし(小林)の著作権だけはどう踏みにじってもかまわない」という事態になってる訳ではないですね^^;。
ただ、本来ドラマチックになりようが無い(特に日本では)裁判を、ここまでドラマチックに語る事が出来る力量は貴重であるし、小林の面白い所だと思っています。
もっと、もっと、現実を面白くしてくれ! 現実の物語化は、始まったばかりだ!
「ところが国民の世論や 政治的な目的次第で 法は曲げてもいいと 取れる発言を 確かに部長判事は したのである」
してないと思う。
なんか、やり方が、最近の「不適切発言」をとらまえて社会問題に発展させる、マスコミの遣り口に似てきているような気が…^^;。
「司法は本当に 世論や政治から 独立しているのか否か?」
「平成12年4月25日 午前10時 この判決文に 冷静に 注目してみよう」
先手を打って読者に楔を打っています^^;。
…でも、どんな判決文が出るのかワクワクしますね。その後に、小林がどういう手を打って来るのかも含めて。
「他にも近頃 裁判の判決って ヘンなのばっかりだ いずれ 裁判についても 描かねばならぬ かもしれない 法そのものの 限界を すごく感じる」
小林が、司法権を握ったら恐ろしい事になるでしょうね。気に入らない人を、どんどん有罪にして牢屋にぶち込みそう^^;。
今回のゴーマン
「さて 人の絵の 無断・拡大引用せにゃ 対抗できないという 情けないやつらに 文だけでの 説得力の模範を 示してやらねばなるまい」
2本立て16ページ。1本目。
今回は、「パックンチョ」について(嘘)。
今回のゴーマン
2本立て2本目。
今回は、「ユダヤ陰謀説の正体」(松浦 寛著)への反論。
今回のゴーマン
今回は、石原都知事の「(不法入国した)三国人」発言について。
まず個人的な見解。「三国人」などのいわゆる「差別語」を使わなければ、何を言っても考えても良い。というのは間違い。言葉狩りでは、問題は何も解決しない。当然、「使われ方」が問題でしょう。
「三国人」に差別的意味が含まれているかどうかを言い争っても無意味でしょう。言葉の意味も時代と共に変化していくのだし、差別的に感じる人がいる事に気づかないで発言する場合もあるでしょう。もちろん、そういう「言い訳」が出来る事を計算の上での発言かもしれませんが。本来言葉は、皆に同じ意味を伝える為にあるので、わざわざ誤解を招く恐れがある言葉を使うというのは、配慮が足りないと言えば足りない。しかし、相手の感情に「配慮」するあまり、なんでもかんでも「差別語」として言葉を抹殺していく行為に私は与したくない。
結局、石原都知事の今回の発言自体に問題は無い。いつもの調子で、いつもの発言を言っただけ。ニュースで、騒がれるのはやはり「差別語を使った」というのが、「分かり易い」からなのかな?
で、今は森首相の「日本は天皇中心の神の国」発言。これは、「差別語」ではないけど(実は差別語かな?^^;)、発言の内容が…。
「「マスコミに NO!と言える国民」 の誕生だ!」
どこの調査か知らないけど、都民の70〜80%が石原都知事を支持…。大丈夫かいな^^;。
ダライ・ラマの日本訪問が、外務省とマスコミと中国の「陰謀」により、封殺されたと言う。
「マスコミは愛国者である 政治家の「言葉狩り」は でっち上げてでもやるが」
「国を中国に売る 腰抜け政治家と 官僚のためなら 報道の「自主規制」 をする」
「日本のマスコミなんて その程度のものなのだ 何の反骨精神もない」
このコマで、「三国人」を掲げて踊っている「マスコミ」は、相原コージ「漫歌」(漫画アクション連載)に出てくる「チンゲ・マンゲ踊り」を思い浮かべる^^;。
「(前略) 小ずるく 言葉遣いの 失敗を 待ち構えて…」
「無理矢理にでも 差別発言に でっち上げて 報道し 失脚を狙う」
このコマは、動きがあってよろしい。
「日本人が 今ほど 真剣に リーダーシップを 渇望した時はない」
そういう時こそ、気をつけないといけない。このコマに描かれた「日本人」は、「NO!」を突きつけた時とは一転してムンクの「叫び」の様に不安感に苛まれている。
「今回の「石原発言 歪曲報道事件」で 共同通信が故意に 配信した流言に 乗っかった 辛淑玉 佐高信 デーブ・スペクター らの ヒステリックな 騒ぎ方は どうだ?」
「我々はこういう 言葉狩り自警団 のような 狂熱をこそ 恐れなければならない」
何故か、宮崎学の名前がない。避けてるのかな?。
「今回 石原発言を 故意に歪曲して ウソの報道をした のはどこか?」
今まで気付いてなかったのですが、小林の自画像で、指のアップの時には、ちゃんとペンダコが描かれてるんですね。知らなかった。初期の頃から描いてたっけ?
「そして 関東大震災の時に「自警団」による 騒じょう事件を鎮圧し 朝鮮人を守ったのは 日本軍であった」
「だから もし次に 震災などがあって 「不法入国した外国人」や 「流言に乗って騒ぎ出す ヒステリックな民」による 騒じょう事件が起こったら」
「ぜひとも自衛隊に 日本人や在日の人々を 守って頂きたい!」
抜けている視点。
・ 関東大震災で、騒擾事件を起こしたのは「ヒステリックな日本人」のみ。
・ 軍隊も自衛隊も「同胞」を素手で鎮圧してるが、そんな事はないでしょう。
そして、マスコミは「言葉狩り」により政治家を失脚させようとすると言う。
「結局マスコミが 決まりきった無難な しゃべり方しかしない 政治家を作り上げていく」
「アドリブはダメ 文書棒読みの政治家が マスコミは一番好きなのだ」
まぁ、マスコミの発達によって、政治家も芸能人も小粒になって「伝説」が生まれにくくなっているというのはありますね。それは、悪い面もあるし良い面もあるでしょう。
でも、最低、自分の言葉でしゃべって欲しいよね。やっぱり。
「わしはもう うんっ…ざりだ そんな政治家!」
「政治家はかならず 失敗もする 堕落もする 本来 わしのような 言論活動をする者は 政治家に対しては 批判してる方が 楽なのだ」
これは、そうでしょうね。業田良家の「ど忘れ日本政治」もそうだし。らく〜。
でも、小林も気に入らない政治家にはこの手段を使ってます^^;。
「しかし それでは 何も建設的ではない 第一 自分の身の保身 だけで発言してるようで 卑怯だ わしは 今のところ 石原慎太郎に 最も期待をして支持する」
これは、本音でしょうね。特に、「今のところ」という部分なんかリアル。
「小林よしのりが 反権力の 旗を掲げ 辻元清美が 国家権力者で 言論弾圧してる 構図では 記事にならんと 思ったのだろう」
猫を抱いた辻元議員の絵と「小市民」小林との対比が面白い。分かり易い。大ゴマで見せて欲しかった…又、訴えられるか^^;。
「外務省が 中国べったりなのも 日本政府の 腰が座らんから だろうとわしは 推測している」
外務省の官僚にも、一定の「配慮」を見せています。「日本政府」の「腰の座らなさ」って何の事だろう?もっと、軍事力を背景にした恫喝外交を展開しろ!とか言うのかな?
「マスコミは 強いリーダーを望まない この日本が 強い国になることを望まない 強者は全て破壊する」
小林は「マスコミ」と「一般の日本人」とを分断しようとしてますが、「一般の日本人」は、「富国強兵」を望んでいるのでしょうか?
今回のゴーマン
今回は、著作権裁判控訴審判決について。因みに、判決文は こちら にあります。増12ページ。
「◎『脱ゴーマニズム宣言』の出版差し止め 出版・発行・販売・頒布してはならない」
「◎著者上杉聰と出版社は慰謝料20万円及び 平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の 割合による金員を支払え」
「「出版差し止め」と 「慰謝料」 こちらが求めた 2点が両方 認められた!」
「逆転勝訴である!」
なんか、上記2点しか求めて無かったような書き方ですが、
----- 判決文より ----- 【当事者の求めた裁判】 一 控訴人(大久保注:小林善範) 1 原判決(大久保注:一審判決)を取り消す。 2 被控訴人(大久保注:上杉聰他)らは、原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍 を出版、発行、販売、頒布してはならない。 3 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金2620万円及びこれに対する平成9年 11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。 との判決及び仮執行宣言 ----------------------つまり、小林よしのりが求めたのは、1.「一審判決取り消し」、2.「出版差し止め」、3.「慰謝料」、4.「訴訟費用の上杉側全負担」ですね。
----- 判決文より ----- 【主文】 一 原判決主文第一項を次のとおりに変更する。 1 被控訴人らは、原判決別紙採録状況(30)に示される漫画のカットを含む 原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。 2 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金20万円及びこれに対する平成9年 11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 控訴人のその余の請求を棄却する。 二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを250分し、その1を被控訴人ら の負担とし、その余を控訴人の負担とする。 ----------------------つまり、
----- 判決文より ----- 第三 当裁判所の判断 当裁判所は、控訴人の本訴請求は、カット37に関する同一性保持権侵害を 理由とする、被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め、並びに、 慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、 その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正する ほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」一ないし三と同 じであるから、これを引用する。 ----------------------カット37(コマの改変)について認められ、他は「棄却」と言う事でしょう。多分…^^;。