今回は、一旦従軍慰安婦問題から離れて小林のセックス観を描いてます。 新しい内容はほとんど無いのですが、錯綜していた話を一旦整理する 意味では効果的だったと思います。私も、混乱していましたがこれで 問題点がはっきりしました。これでやっと最初の問題提起 「従軍慰安婦は、本当に強制連行されたのか?」に戻った感じです。 後は、「ある・ない」をはっきり証明する事が出来るかどうかに 掛かっているでしょうね。
ただ、一つ気になったのは、「アジアはアジアで自助努力で経済を
立て直すべし、売春に頼るくらいなら多少飢え死んでもかまわん」ですね。
但し、この部分は「わしの美意識から言うと・・・」と断りを入れている。
以前も女子高生売春について「これを説得する理屈はない・・・むろん
わしなら理屈もへったくれもないけどね」と言っている。
こういう時に、「女子高生が売春する事は、誰がどう見ても
間違っている。」とか言い出す人がいるがこういう物言いは無意味である。
それに対して、「自分」を基準にしている所がゴーマニズムの
ゴーマニズムたる所以であり、小林が絶対的に正しい点ですね。
(関連)
弱者権力・・・弱者である事を利用して、或いは弱者を利用して自分たちに都合よく
利用している人。又、それに乗せられている人。を今回は槍玉にあげています。
非常にバランス感覚のいるナイーブな問題ですが、小林なりのやり方で上手く表現され
ていると思いました。読み取れない人も多いとは思いますが、思い込んでしまっている
人を説得するのって非常に難しいですよね。だからこそ、それに挑戦している小林は
偉い!
鹿児島の43団体が連盟で「ゴー宣」の慰安婦に対する発言に抗議の手紙を送って
きたそうです。今回は、その反論。
(関連)
最初に、浅羽と中森の対談を「相対主義なんて今時常識」であり、「つまんなかった」。と言っている。ただ、小林にとっては常識でも、全ての人にとって「前提」になって
いるとは限らないので、当たり前の事を言う事に意味が無いとは考えない。
「相対主義の先を提示したい!して欲しい!」という意識は分かるのだが・・・。
相対主義の中から、自分にとっての「絶対」を選択していく。「何が正しい・良い・
悪い 分からぬ世の中、それでも何かを信じて 生きてく私たち」
(『オマタセマンの歌』、山本正之)って所でしょうか^^;
今回は、2本立て。「SAPIO」は、月2回発行で週刊誌に比べてかなり発行誌数
が少ない。今月は、1回発行だしね。週刊誌ペースが合っている小林には物足りない
のでしょう。
小林の論理は、最後の「「国家のため」は危険 国のために死ぬのは「誇り」
ではない 個人主義が一番大事 オレだけオレだけ」「家族のため 公共のため
「国家のため」という大儀を国民 ぜーんぶがなくしちゃった結果としての
官僚腐敗なんだ!」(だから、「国のため」に個人を殺す「誇り」を復活させ
ねばならない。)という考えから帰納された物のようである。逆に言えば、
「国のために死ぬのは誇り」なのだろうか?私は、そんなものは「本人の思い込み」
や「遺族の慰め」だと思うぞ。かなり危険。
今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」と文部大臣との会談の様子が描かれて
います。
今回は、小林が出演した朝ナマの様子を描いています。
公認本『わがゴーマン闘争』は、小林は公認していなかったそうである。
買わなくて良かった^^;
まず、びっくりするのが言葉の多さ・難解さ。小林の語彙は、初期に比べると
別人と見まがう程増えている。同時に難解になって来ている。ギャグを入れている
余裕を無くして来ている。これで、読者の興味を繋ぎ止めて置く事ができるのか?
(おまけ)
ゴーマニズム宣言『第74章 ブルセラと女子高生売春』
ゴーマニズム宣言『第81章 大それたことに戦争責任』
『第31章 弱者という聖域に居る権力者』
『第32章 43団体の言論弾圧にわしは屈せぬ』
小林は、彼等の要求を「言論弾圧」であると言っている。でも、普通に考えると彼等
の要求(謝罪広告掲載・単行本への未収録)は、「小林が過ちを認めたならば」という
前提での要求でしょうから直ちに「言論弾圧」とは言えないでしょうね。でも、今までの同様の例では、出版社・作家共に深く考えずに自主規制してきた経緯があったために
出版社・作家・団体全ての意識改革のために敢えて「言論弾圧」と大袈裟な言葉を
使っているのでしょう。考えてみれば「ゴー宣」の目的の1つ「自由に漫画を描ける
ようになる為に、学識者がやらないならば自分で障害をどけていくしかない。」という
目的の為には、今回の抗議は願っても無いチャンスなんでしょうね。小林のほくそえみ
が見えるようです^^;
後、朝日と西日本新聞に続報として「小林、抗議を完全論破!」と載せてくれと要求
しているのには笑ってしまった。確かに書き流しの問題もありますわな。
ゴーマニズム宣言『第80章 わしはミスをする天才じゃい』
ゴーマニズム宣言『第111章 美は才能である』
『第33章 「新しい歴史教科書を作る会」に注目せよ!』
『インデペンデンス・デイ』は、私は「アメリカのナショナリズム」とは思わずに
観たので、クライマックスは引いてしまいました。アメリカの独立記念日=
人類の独立記念日にもっていってしまいますからね。この辺からストーリーが
急速に御都合主義になって行く。「TRUE LIES」のクライマックスに、
原子爆弾のキノコ雲をバックにしたキスシーンを持ってくるとかそういう感性は
やっぱり引いてしまう(好きな映画なんだけどね)。
「こち亀」連載1000回
記念パーティーの話題が出る。そういえば、小林よしのりと秋本治は、
『ジャンプ』デビューが大体同じなんですよね。たしか、合作で両さんと東大通が
共演してラグビーをする話があったような気がする。両津勘吉おそるべし!
で、肝心の慰安婦問題ですが小林は、弱者である元・日本兵のじっちゃん達に
「同情」して彼等の力になろうとしているようです。もちろん「黒」を「白」と
言いくるめるような気は無いでしょう。唯、「白・灰色」を「黒」と言いくるめ
ようとする勢力と戦う決意を固めてるようです。しかし、「たかが」漫画家が
教科書を作ってしまう時代が本当に来てしまったんですね。ついに、小林の目指して
いた「現実の物語化」が始動し始めたのか!
『第34章 南の島に雪が降る』
で、まず1作目。ここで、小林の同情したじっちゃん達が小林の祖父の影響である事
が語られている。そして、命懸けで国を守ろうとしたじっちゃん達を「わしは守る」
と言っている。
「わしの祖父は二度召集令状が来て2度戦地に行った 一度も逃げなかった
すごいと思う」「人は個人を超えねばならぬ時がある 愛する人のため・・・
家族のため・・・ 多くの人々のため・・・ 国のため・・・ 戦わねばならぬ時がある」
完全に国粋主義ですな。これでは、召集を拒否した人を臆病者の非国民と言って
いるようなものである。召集令状を逃げなかったのは、家族や国のために戦いた
かった人と、逃げるだけの根性が無かった人の2種類である。召集令状を逃げた人は、
臆病者とどんな事があっても暴力を拒否する平和主義者の2種類である。
単純に「召集令状を逃げなかったから偉い」とは限らない。
「はっきり言ってわしは善人でありたいとも正義でありたいとも言ってない
悪人と言われても祖父たちを守ると言ってるのだ」。さて、悪人と言われるのは
良いと思うがそれでじっちゃん達を守れるのかな?
『第35章 公共性から国家のため』
(おまけ)
今月号の「噂の眞相」。「新しい教科書を作る会」に対する攻撃。相変わらず、
相手の論に対する反撃が、それ以上の論で対抗するのではなく相手を引き摺り落とす
事に汲汲としていて楽しめない。横で、無責任で恣意的な柱を立てるやり口等、とても
賛同できない。まったく、的外れとは思わないので、自分の論に自信があるなら
正面から正攻法で戦って欲しい。ピャーボに対するコメントも、「我々は、きっと
大成すると信じていた!おめでとう!」などとよくもぬけぬけと言えたものだ。
どうも、なじめん。
「読者の投稿」で、「小林は、川田龍平の天皇化をオウム並みに危険な事だと言って
いるが、肝心の天皇については、危険だと言わないのは何故か?」というような物が
あった。成る程、確かに。
『第36章 「史ニストのお歴々」文部大臣に会う』
私は、これを読んで「バリゾーゴン」(渡邊文樹監督)という映画を思い出してしま
った。真相を追求するジャーナリストを主人公にしたドキュメンタリー風の話だが
途中から主人公が暴虐無人の振る舞いを仕出し最終的に誰が正しくて誰が間違っている
のか、真相はどうだったのか、さっぱり分からないまま終わるという非常に後味の悪い
作品。今回の作品も、私はどちらかと言うと文部大臣の方に同情してしまった。
小林も、なんかわざとやってるような気もするが本気の様な気もする。この辺も
「バリゾーゴン」と似ている。
少なくとも、今までせっかく問題点を「従軍慰安婦は、本当に軍によって強制連行
されたのか?」に絞ってきたのに、「残酷で性的な従軍慰安婦問題を、小学校の教科書
に載せていいのか?」という新しい議題を持ち出したのはミスだと思う。
「権威によりかかってしか発言出来ない」事は、恥ずべき事。「風潮が容認する正義」
を優先させてはいけない事はその通りでしょう。
『第37章 朝ナマで見た凶暴な善意のファシズム』
「この人、青山吉伸にそっくりだなァ・・・」「こいつ共産主義者だ〜っ」
「こいつらサヨクだからしゃーねえがな」「こんな明け方まで子供が起きてわいせつ
な番組を見るな!」「これは韓国人、これは民青だな」。
・・・で、最後に「失敗するかもしれん。ひょっとして負けるかもしれん。」
と、珍しく弱気になっています。・・・負けるかもしれませんね。
「力量不足」は、否めない。
『第38章 サヨク化石脳を常識の海に沈めよ』
しかし、こんなにあからさまにやるとは度胸があるなぁ。
漫画に描かれる事は、分かりきっているのに。
この本の内容から、特に小林に敵意を持っているようには見えないので、
正に「人の褌で儲けようとした。」だけなのでしょう。軽率。
この事もそうだが、応援レター(読者の声)に、先号の感想がもう載っている。
かなり、情報が早い。
欄外の小林の金本君へのコメントから、小林の考えの一端が読み取れる。
ただ、「やったー、櫻井よしこの講演会を人権センターが潰した一件を
これで相殺できるーっ」というのは妄想レベルですな。方便でしょうが、
上手くない。
ここで、第31章で扱った「弱者権力批判」を再び行っている。
非常に微妙で難しいテーマなんですよね。「(異論を許さぬ)空気のこわばりを
ほぐせるか?」というのは、重要な問題だとは思います。
ただ、小林が描くような極端な「魔女狩り」が実際に行われている
のかどうかは、実感として感じていないので何ともいえない。
あるのかもしれないし、小林の被害者意識かもしれない。
「子供の黒人障害従軍慰安婦人権軍」は、久々のヒット!^^;
ほとんど子供の発想を実際に絵にして動かしてしまう。ギャグとして
良く出来ている。
小林は、「新聞報道が世論を作る」と考えてガンガン攻撃してますね。
あらゆる手を使って新聞の権威を落とそうとしているようです。
この判断が吉と出るか凶と出るか。
『第39章 世界一抗議の多い漫画それがゴー宣』
そういえば、繰り返し「読者は、良き観客でいてくれ。」と言っている。前回の
運動の反省から、今度は「市民抜きで市民運動をする(1人で運動する)。」つもり
なのかもしれない。
「新聞もテレビも雑誌もパソコンも全部疑え!わしだけちょっぴり信用するのだ!」。
以前は、「小林よしのりを疑え!」と言ってました^^;。まぁ、信用出来ると思う人を
信用する。裏切られたら、信用した自分が悪い。って事ですね。
今回も、新聞をメインに攻撃しています。「報道被害」は、確かに日常的に起こってい
ることですから、記者のモラル向上に役立てば小林の死も無駄にはならんでしょう
(まだ、死んでないけど。)
「国家や公共性の意識は現在の壊滅的共同体崩壊の中では教育と風潮で育て直す
しか手が無い。愛国心と愛郷心の程よいバランスを回復しつつ国柄の再考へと歩を
進める第一段階としての歴史論争なのである。」ふ〜ん。
久々に、「SPA!」を読んだ。『江戸前アメリカーン』の作者が、連載してたのにも
驚いたけど、「夕刻(憂国)のコペルニクス」(鈴木邦男)まだ続いていたのですね。
一冊の本に纏められていたので終わったのかと思っていた。ちょうど、従軍慰安婦問題
をやっていました。当然だけど、小林とはまた違う見方・行動をしてますね。
こちらも、要チェックかな。
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