新・ゴーマニズム宣言SPECIAL「古寺記」 の感想

(古寺記)

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mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の一 東寺』
(「SAPIO」 12月11日号)

今回より、新シリーズ『古寺記』が始まる。16ペ−ジ。2ヶ月に一度掲載されるようだ。

九州の密教の寺で育ち、オウム事件に関わって以降、日本の伝統宗教である仏教に興味を持っていたようである。

規範が溶解した 仏教で、 「形から入る」が、 まだ有効なのか?
「形から入る」とは 何なのか? わしは それを探す旅に 出ることにする。
「形から入る」を、「理」で解そうとする。どうしても矛盾が出てきて捉えどころが無いのが宗教。実際の所は、個人の心の中にしか「神」は居ない点で、「愛国心」などと似通っているのかもしれない。

驚くべきことに 真言密教の 理趣経には、 「男女の愛欲は 菩薩の境地である」 とまで書いてある!
インドの性典「カーマ・スートラ」とかの例もありますしね。宗教がすべからく禁欲的であるわけではないでしょう。

「五蘊皆空」の説明の為に、高倉健に出会ったエピソード。
執着するから 苦が生まれる。
無駄な執着は 捨てるべきである。

東寺の仏像の魅力から、平安京の成立まで。

そもそも平安時代は、 「怨霊の時代」の 幕開けなのだ!

今回のゴーマン

ごー曼荼羅 かまして よかですか?
真実は、怨霊が 国家そのものを 揺るがしていたので ある。
怨霊が 歴史を 作っていた のである。
たった十年の 長岡京も、
そして空海の登場も、
怨霊が支配する平安時代を 抜きには、語れないのである。
オンキリ ウンキヤクウン
次回は その話から 始めよう。

(柱の言葉)
・ 「日本人にとって宗教とは何か、日本人の内面を問い直す待望の新シリーズ、満を持してついに開始!

(おまけ)
・ 今回も、「応援レター」無し。



mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の二 怨霊の平安京』
(「SAPIO」 12月25日号)

新シリーズ、第2回。8ペ−ジ。暫くは、このシリーズが掲載されるのかな?。

怨霊を祭る「御霊神社」「祟道神社」へ。

政争によって殺された早良親王が「怨霊」となった事件。
桓武天皇が、その祟りを恐れ長岡京を捨てて平安遷都を行う。
その為に、平安京は風水に基づいた「呪術」によって守られる必要があった。
北の「玄武」(船岡山)、東の「青龍」、南の「朱雀」、西の「白虎」。
平城京にも、「朱雀門」とかあるけどね。

「怨霊」というもの、 「呪術」というもの、 それを現代社会に 生きる者たちは、 非科学的だと笑って 一蹴するだろう。
当然。「神」「怨霊」「呪術」は、人の心の中に存在する。

あるいはオカルト大好きの 少しイカレた連中が、 「努力や才能なしで目的が 達成できるオイシイ術」と、 勘違いしてはまってしまい 最後はカルト宗教の 信者と化すだろう。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
わしにはこの合理主義に 貫かれた現代社会の中で、 「呪術」的な何かが 身についているように 思えるのである。
次回、 「知識」や「情報」で 伝えられない 密教的な何かについて 掘り下げていこう。

締めの言葉。既に、「ゴーマン」でも何でも無くなって来ている…^^;。

とうとう、小林にも人智を超えた「超能力」が身に付いてきたようである^^;。当然、「カリスマ」の行く先は、そういう能力という事ですが…。

(柱の言葉)
・ 「怨霊が人々に祟り、それに抗する呪術が求められた平安京。その深い闇の中にいよいよ降り立つ!
次回も「古寺記」かな!?。

(おまけ)
・ 今回も、「応援レター」無し。6回連続で無いのは、珍しい。

(欄外情報)
・ 「人間の力は「知識」や「情報」にはない。人物そのものにしかないと考える。
今年(2002年)の1月に亡くなられた、遠藤誠弁護士の言葉に「右翼、左翼などのレッテルは問題で無い。左翼にも嫌な奴は居るし、右翼でも尊敬できる人間はいくらでもいる。」と言うものがあります。私は、この言葉が大好きです。

・ 『わしズム』の宣伝が過剰。損益分岐点を超えるには、売上部数が未だ足りないのかも知れない。



mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の三 顕密は人にあり』
(「SAPIO」 1月8日号)

タイトル「顕密は人にあり(けんみつはにんにあり)」。

新シリーズ、第3回。8ペ−ジ。「顕教」「密教」について。寺巡りよりも、仏教の教えの解釈に紙数をかけている。

わしは 馬鹿だから 馬鹿と言われても 何ともないのに!
「無知の知」(ソクラテス)という事で、自分の無知を知っている者は強い。

「経典」で学んだものではなく、 わしが対象について 一気に「直観」した何かが、 世界を揺るがすのだ!
ますます、神懸かってきました^^;。

「霊力」の源を実家の寺に求める。
山には霊気がある。 幼い頃のわしの意識下に 合理を超えた何かが 堆積されていたのかも しれない。

空海について。
現代からみれば織田無道 みたいに、インチキくさい呪術に 見えるかもしれないが、
当時としては、一種の催眠療法で あったかもしれず、里の者たちは、 修行者に敬意を払っていた。
逆に言えば、織田無道も平安時代なら修行者として名を成したかも知れず。インチキな「呪術」、正しい「呪術」の区別は、実は無いのではないかとも思える。

あるとすれば、その時代に受け入れられるかどうか。地動説も、中世では「異端」だった訳だしね。

ここで強調しておかねば ならぬことは、 空海が実学においても 天才だったということだ。
小林は、空海は実学においても天才であり、自分の超能力を良い事に使った。として、現代の「ペテン師」とは分けて考えるべきという考えのようだ。

現代の知識人は、 左脳に偏りすぎて、 右脳が完全に 破壊されている者が あまりに多い。
(中略)
それならば元々、左脳を見限っている 我々、凡夫の方が、 右脳によって、感性を研ぎ澄まし、 この身、このままで 仏になる可能性が、 高いのである。
??。左脳(知識)よりも右脳(感性)に重きを置く理由付けが、意味不明。

又、「顕密は人にあり」と「知識」「感性」との捉え方も整理されていないように感じる。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
顕密は人にあり。
我々の中に 宇宙があり、 我々の中に 仏があるのだ!
そのことを 直観せよ!

「直観」というのが宗教の本質なのだろうが、間違った「直観」=「トンデモ」との境が曖昧であり、危うい点でもある。正しい「直観」というのも、意味不明だが^^;。

(柱の言葉)
・ 「言葉や理論では表せない「真理」を掴みとる「直観」の力を持つこと、これが密教の核心だ!
一つは、学校の先生(師)が求める「答え」を掴むのが得意な生徒と同様の「要領の良さ」「勘の良さ」を持った人物が、日本的な「密教」を伝達して来たのであろうという事。
二つは、「直観」で「真理」を掴むという事は、究極的に「真実は人の数だけある」という「真理」を表しているという事。

「古寺記」と「新・ゴーマニズム宣言」との位置付けは、これからどうなって行くのだろうか?。

(欄外情報)
・ 「わしは来年、再び『戦争論』の続編を出すぞ。すでに描き始めている。
2003年。ますます混迷の時代の幕開け。何が起っても不思議ではない。日本が50ウン年ぶりに「戦争」に突入する事も、絵空事では無いかもしれません。

・ 「今年1年、ほんとうに忙しかった。すごく、きつかった時もある。でも応援してくれたみんなに感謝します。

(おまけ)
・ 今回も、「応援レター」無し。7回連続。



mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の四 日本の密教、日本のマンダラ』
(「SAPIO」 1月22日・2月5日合併号)

新シリーズ、第4回。増16ペ−ジ。

経典…つまり、 知識や情報では 伝えられない ことがある。
例えばわしの 『ゴーマニズム宣言』を マネて描くものが いたとする…
おそらくそれは単なる 「絵解き漫画」になるだろう。
漫画には、「面白い漫画」と「面白くない漫画」がある。確かに、『ゴーマニズム宣言』以外の蘊蓄漫画は、大抵「面白くない漫画」ですね。

今回のゴーマン

ごー曼荼羅 かまして よかですか?
空海には、日本の 霊層エネルギーが 宿っていた。
密教は、 空海こそが 完成させている。
もっと空海を 知らねばならぬ。
次回、わしは 高野山に行く!

(柱の言葉)
・ 「ゴーマニストが高野山頂で遭遇したものとは!?次号を見逃すな!

(欄外情報)
いつもより、愚痴が多い^^;。確かにオーバーワーク気味ですが。

(おまけ)
・ 今回も、「応援レター」無し。そろそろ『古寺記』の感想も来ているだろうに。



mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の五 霊場・高野山に行く』
(「SAPIO」 3月12日号)

新シリーズ、第5回。増16ペ−ジ。高野山へ。

デカルトの「我思う。故に、我あり」という西洋哲学に対する、東洋思想の「行(形、存在)」について。

おまえが生まれたいと 思ったから、たったんだ!
最近、「少子化」「ディンクス(子供を作らない)」が言われていますが、確かに私も「受精する前から、子供は生まれたがっている」と思っています。まぁ、避妊や堕胎をまったく否定している訳ではありませんが…。

1人の子供を溺愛するよりも、多産で雑に育てた方が子供同士の助け合いや自立心を育てる効果もあると思う。

しかし、これは 「意思の前に“形”がある」 という考えに 反するように思われる。
こうも考えられないか。「精子も卵子も“形”が出来る。そこに「生まれたい」という意思が発生する。受精による細胞分裂により、“形”が出来る。そこから「生まれる」という意思が発生する。それが為に「ちんちんは勃った」。」

高野山の宿坊・福智院へ。

朝、6時起床だって?
笑っちゃうねー。
6時だと、一般人にとってもそんなに早い時間では無いのでは?
お坊さんはもっと早起きかと思っていた^^;。

「女人禁制」は、乱交防止の意味もあるのではないかという考察。

浄土真宗は結婚も認めているが、一般に仏教は、性をタブー視していたという事で、なるほど。そうかもしれない。
尼寺も、基本的に「男子禁制」だっけ?。

明治元(1868)年 3月からの 「神仏分離令」である!
「廃仏毀釈」の嵐
小林よしのりは、多神教の日本においては「神仏習合」であったという立場のようだ。

高野山は、「女人禁制」の「密教」から、「お大師さん」の庶民の信仰に変質したと説く。

はたして 現在の女・子供に 招き入れる観光化の 中で、この山上に 大日如来と一体化する ための霊気は 失われていないか?

金剛峰寺に残された「柳の間」。乱心した秀吉と、アメリカのブッシュを重ね合わせる。

「謀反の兆しあり」 それだけで、戦争を仕掛ける 口実になるのなら、 今後、どの国も安心して 寝ておれる国はあるまい。

4時半で、お寺は閉門。帰宅を促がすメロディ。

もう 店じまいか?
早い!
早すぎるや ないけ!
理由としては、大都市と違って、遅くまで営業しても人件費が掛かるばかりで、それに見合う収入が見込めないというのと、賃貸でなく自前の店なので、無理に稼ぐ必要が無い。又は、下山して自宅に戻るには終電に間に合わなくなる。などなど。

今回のゴーマン

ごーまんかまして よかですか?
冬だからかもしれんが、 4時半に店じまいは、 やはり俗世間ではない。
少なくとも わしにとっては 修行以外の 何ものでもないぞ、 この事態は 〜〜〜〜〜〜っ。
なんか夜は 底冷えが する〜
さすがに高野山、 「修禅の道場」だ!
田舎は、どこもそんなものですね。

私の近所の路地にある街灯など、21時になると「消灯」してしまいます。つまり、そんな時間に外を出歩いている人など「居る訳が無い」という事です^^;。

お陰で、星が良く見えます。

(柱の言葉)
・ 「「修禅の道場」から「大衆の救済の場」へ、そして「廃仏毀釈」をも乗り越えた霊場・高野山の真実とは何か。次号を待て。

(欄外情報)
・『わしズム』Vol.5の宣伝が中心。

・「ポチ保守が主張する「北朝鮮があるから、日本はアメリカに…」という考えは不純であり、堕落である。このままでは日本に再び核が落ちる日がやってくる。
不純だと、核が落ちる理由は?。純粋だと、核攻撃されない?。

(おまけ)
・ 今回も、「応援レター」無し。



mark 「新・ゴーマニズム宣言」SPECIAL 古寺記 『其の六 高野山・奥の院を訪ねる』
(「SAPIO」 3月26日号)

新シリーズ、第6回。8ペ−ジ。高野山探訪記、第2回。


今回のゴーマン

ごーまんかまして よかですか?
20万基の墓石だらけの 奥の院って、もっと 陰うつな所かと思ってたけど、 案外、楽しい。
神妙に歩いてるけど 壮快な気もするし、 所々、思わず立ち止まる ポイントもある。
これは 「死のテーマパーク」であり、 はしゃぐのではなく 厳粛になり続けることで 解放感を味わえるのだ!

(柱の言葉)
・ 「日本人の総菩提所である奥の院、20万基の墓が並ぶ「死のワンダーランド」でついに空海その人に出会う

(欄外情報)
・ 「次回は時評を描くかもしれません。最近、世の中の意見に違和感があるので。


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