今回より、新シリーズ『古寺記』が始まる。16ペ−ジ。2ヶ月に一度掲載されるようだ。
九州の密教の寺で育ち、オウム事件に関わって以降、日本の伝統宗教である仏教に興味を持っていたようである。
「規範が溶解した 仏教で、 「形から入る」が、 まだ有効なのか?」
「「形から入る」とは 何なのか? わしは それを探す旅に 出ることにする。」
「形から入る」を、「理」で解そうとする。どうしても矛盾が出てきて捉えどころが無いのが宗教。実際の所は、個人の心の中にしか「神」は居ない点で、「愛国心」などと似通っているのかもしれない。
「驚くべきことに 真言密教の 理趣経には、 「男女の愛欲は 菩薩の境地である」 とまで書いてある!」
インドの性典「カーマ・スートラ」とかの例もありますしね。宗教がすべからく禁欲的であるわけではないでしょう。
「五蘊皆空」の説明の為に、高倉健に出会ったエピソード。
「執着するから 苦が生まれる。」
「無駄な執着は 捨てるべきである。」
東寺の仏像の魅力から、平安京の成立まで。
「そもそも平安時代は、 「怨霊の時代」の 幕開けなのだ!」
今回のゴーマン
新シリーズ、第2回。8ペ−ジ。暫くは、このシリーズが掲載されるのかな?。
怨霊を祭る「御霊神社」「祟道神社」へ。
政争によって殺された早良親王が「怨霊」となった事件。
桓武天皇が、その祟りを恐れ長岡京を捨てて平安遷都を行う。
その為に、平安京は風水に基づいた「呪術」によって守られる必要があった。
北の「玄武」(船岡山)、東の「青龍」、南の「朱雀」、西の「白虎」。
平城京にも、「朱雀門」とかあるけどね。
「「怨霊」というもの、 「呪術」というもの、 それを現代社会に 生きる者たちは、 非科学的だと笑って 一蹴するだろう。」
当然。「神」「怨霊」「呪術」は、人の心の中に存在する。
「あるいはオカルト大好きの 少しイカレた連中が、 「努力や才能なしで目的が 達成できるオイシイ術」と、 勘違いしてはまってしまい 最後はカルト宗教の 信者と化すだろう。」
今回のゴーマン
タイトル「顕密は人にあり(けんみつはにんにあり)」。
新シリーズ、第3回。8ペ−ジ。「顕教」「密教」について。寺巡りよりも、仏教の教えの解釈に紙数をかけている。
「わしは 馬鹿だから 馬鹿と言われても 何ともないのに!」
「無知の知」(ソクラテス)という事で、自分の無知を知っている者は強い。
「「経典」で学んだものではなく、 わしが対象について 一気に「直観」した何かが、 世界を揺るがすのだ!」
ますます、神懸かってきました^^;。
「霊力」の源を実家の寺に求める。
「山には霊気がある。 幼い頃のわしの意識下に 合理を超えた何かが 堆積されていたのかも しれない。」
空海について。
「現代からみれば織田無道 みたいに、インチキくさい呪術に 見えるかもしれないが、」
「当時としては、一種の催眠療法で あったかもしれず、里の者たちは、 修行者に敬意を払っていた。」
逆に言えば、織田無道も平安時代なら修行者として名を成したかも知れず。インチキな「呪術」、正しい「呪術」の区別は、実は無いのではないかとも思える。
あるとすれば、その時代に受け入れられるかどうか。地動説も、中世では「異端」だった訳だしね。
「ここで強調しておかねば ならぬことは、 空海が実学においても 天才だったということだ。」
小林は、空海は実学においても天才であり、自分の超能力を良い事に使った。として、現代の「ペテン師」とは分けて考えるべきという考えのようだ。
「現代の知識人は、 左脳に偏りすぎて、 右脳が完全に 破壊されている者が あまりに多い。」
(中略)
「それならば元々、左脳を見限っている 我々、凡夫の方が、 右脳によって、感性を研ぎ澄まし、 この身、このままで 仏になる可能性が、 高いのである。」
??。左脳(知識)よりも右脳(感性)に重きを置く理由付けが、意味不明。
又、「顕密は人にあり」と「知識」「感性」との捉え方も整理されていないように感じる。
今回のゴーマン
新シリーズ、第4回。増16ペ−ジ。
「経典…つまり、 知識や情報では 伝えられない ことがある。」
「例えばわしの 『ゴーマニズム宣言』を マネて描くものが いたとする…」
「おそらくそれは単なる 「絵解き漫画」になるだろう。」
漫画には、「面白い漫画」と「面白くない漫画」がある。確かに、『ゴーマニズム宣言』以外の蘊蓄漫画は、大抵「面白くない漫画」ですね。
今回のゴーマン
新シリーズ、第5回。増16ペ−ジ。高野山へ。
デカルトの「我思う。故に、我あり」という西洋哲学に対する、東洋思想の「行(形、存在)」について。
「おまえが生まれたいと 思ったから、たったんだ!」
最近、「少子化」「ディンクス(子供を作らない)」が言われていますが、確かに私も「受精する前から、子供は生まれたがっている」と思っています。まぁ、避妊や堕胎をまったく否定している訳ではありませんが…。
1人の子供を溺愛するよりも、多産で雑に育てた方が子供同士の助け合いや自立心を育てる効果もあると思う。
「しかし、これは 「意思の前に“形”がある」 という考えに 反するように思われる。」
こうも考えられないか。「精子も卵子も“形”が出来る。そこに「生まれたい」という意思が発生する。受精による細胞分裂により、“形”が出来る。そこから「生まれる」という意思が発生する。それが為に「ちんちんは勃った」。」
高野山の宿坊・福智院へ。
「朝、6時起床だって?」
「笑っちゃうねー。」
6時だと、一般人にとってもそんなに早い時間では無いのでは?
お坊さんはもっと早起きかと思っていた^^;。
「女人禁制」は、乱交防止の意味もあるのではないかという考察。
浄土真宗は結婚も認めているが、一般に仏教は、性をタブー視していたという事で、なるほど。そうかもしれない。
尼寺も、基本的に「男子禁制」だっけ?。
「明治元(1868)年 3月からの 「神仏分離令」である!」
「「廃仏毀釈」の嵐」
小林よしのりは、多神教の日本においては「神仏習合」であったという立場のようだ。
高野山は、「女人禁制」の「密教」から、「お大師さん」の庶民の信仰に変質したと説く。
「はたして 現在の女・子供に 招き入れる観光化の 中で、この山上に 大日如来と一体化する ための霊気は 失われていないか?」
金剛峰寺に残された「柳の間」。乱心した秀吉と、アメリカのブッシュを重ね合わせる。
「「謀反の兆しあり」 それだけで、戦争を仕掛ける 口実になるのなら、 今後、どの国も安心して 寝ておれる国はあるまい。」
4時半で、お寺は閉門。帰宅を促がすメロディ。
「もう 店じまいか?」
「早い!」
「早すぎるや ないけ!」
理由としては、大都市と違って、遅くまで営業しても人件費が掛かるばかりで、それに見合う収入が見込めないというのと、賃貸でなく自前の店なので、無理に稼ぐ必要が無い。又は、下山して自宅に戻るには終電に間に合わなくなる。などなど。
今回のゴーマン
新シリーズ、第6回。8ペ−ジ。高野山探訪記、第2回。
今回のゴーマン