今回は、カラー2本立て。1本目は、映画「プライベートライアン」について。
「『プライベート・ライアン』は巷の映画評どおりの「厭戦映画」で(中略)これでもかこれでもかとと死の苦痛を描いている」
私の映画評とは、違いますね^^;。
「ノルマンディー上陸作戦がなかったらユダヤ人はナチス・ドイツにみな殺しにされていたのである」
「スピルバーグの祖父たちを救ったのは「戦争」であった この大いなる自己矛盾!」
矛盾かなぁ?戦争の悲惨さを訴えて、ナチス・ドイツのような「敵」を作らないようにすることが「厭戦映画」の目的でもあるでしょう。
「従ってスピルバーグはこの映画を決して「反戦映画」にはできない」
「この悲惨な戦争に参加した祖父たちをねぎらって感謝の意を表すべく戦没者墓地に佇む老いたライアンえお映し出し…ラストで星条旗がはためくのである」
最初と最後に出たアメリカ国旗は、くすんだ色調で映されてましたね。「アメリカの正義」の大義名分に対する懐疑が込められていると感じました。
しかし、考えてみるとアメリカ国旗というのもすごいですよね。新しい土地を手に入れるたびに「星」が増えていくんですから…、戦闘機に、撃墜した敵機のマークを描いてるようなもんですよね。
「わしの『戦争論』がそういう終わらせ方だったら絶対もっと攻撃されていただろう」
「アーリントン墓地と星条旗なら拒絶反応は出ないのである。それがアメリカニズムだ」
批判されるかどうかは、内容によりますね。
「戦場の悲惨さならわしも『戦争論』の中でずいぶん描いている」
いいんじゃないでしょうか。この辺の描写は力が入っていて好きです。
「…うちの女性は強すぎるのだろうか?」
強いというか、あの映画を見てこういう感想が出てくるというのはかなり変わってると思う。もともと、娯楽映画ですよね?。
まぁ、だから「パブリック・ヨシリンの映画評」なんでしょうけどね。あの映画をこういう風に観れるのか、というのが新鮮でいいけど。
「いかに周囲でバタバタ仲間が倒れていようと…」
「同時に目を血走らせてしゃにむに前に出る戦闘意欲の高い兵がいたからこそ連合軍は勝てたはず」
この辺の考えが日本人的ですね。精神力で、勝つという。
アメリカは合理主義の国なのでそうは思わずに「物量が優る方が勝つ」と考えていたでしょう。
「てやんでーてめーらのタマなんかに当たってたまるかー」
「オレさまの肝っタマではね返してくれるわーい」
「キンタマだけには当てんなよー クニの母ちゃんを喜ばす鉄砲じゃからなー」
単に、「戦争」という異常事態にハイになってるだけにしか見えない。
書き写していて初めて気付いたけど、「タマ」の反復ギャグだったのね^^;。
「ライアンを故国に連れ戻すためにやってきたトム・ハンクスに向かって…」
細かいことですが、ライアンは役名なのに、トム・ハンクスは役者名ですね。
「戦争が悲惨なことは日本の若者ならだれもが充分わかっている だれもやりたかァないよ」
「「しかしながら…」考えておくべきことであるし」
「「だからこそ…」祖父たちに敬意を払うべきなんだ」
「しかしながら…」考えておくべきことでしょう。
「だからこそ…」無条件に祖父たちに敬意を払うべきなのかな?
今回のゴーマン
カラー2本立て。2本目は、日韓首脳会談の共同宣言について。
「おいおいおいほんとかよ〜〜〜〜?」
この顔最高!
「いったいこれまで何回「ひと区切り」がついて何回「終止符」が打たれ何回「新時代」がスタートしてきたことだろう?」
御意。
「事後法」
最近、三島由紀夫の著書(『若きサムライのために』(文藝春秋))でこの言葉を読んだ記憶があるのだが、今捜したら見つからなかった…。
ついでに、この本から引用
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だけど、さういふ意味ぢやあ、教育といふのはある程度欺瞞を教へるわけね。中共もさうだし、アメリカもさうだけど、欺瞞をすら信じさせえない教育で、どうして真実を信じさせるか、といふ教育のパラドックスがある。それは教育の最高のパラドックスだと思ふんだ。戦後の教育に確信がないのは、真実を信じさせられないし、欺瞞をすら信じさせられない、といふ様なことをやつてきたわね。だけど、それが教育の根本理念なんだ。それをうまく左翼が利用して、既に欺瞞はうまく信じさせる様にしたんじやないかな。
だから、今度神話を復活するといふのは大賛成だけど、歴史的信憑性があるとかないとかは問題ぢやない。イ・ロジカルなものを信じさせるといふのは、教育の根本ぢやないかと思ふ。ロジックを通じないで…。もし、ロジカルなものだけを信じさせるんだつたら、教育は要らないですよ。
今回は、先日亡くなられた、『戦争論』で取材した高村武人氏の思い出。
そういえば、11月11日に淀川長治さんが亡くなりました。ご冥福をお祈り致します。
「…あのマッカーサーさえ後にこう言っているのだ」
「日本は8千万人に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島の中にひしめいていたことを理解していただかなくてはなりません…(中略)日本は蚕以外には固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らには綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。
(中略)
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
その後、アメリカの対日政策の解説。
「日本はルーズベルトのワナにはまって真珠湾を攻撃した!トラトラトラ。そこにはすでに最も重要な攻撃目標たる空母はなかったのだ!」
完璧に良いようにされてたんですね。日本^^;。
「このくらいの自国民さえだまして犠牲にする情報操作は外国はカンタンにやる…戦争に勝つにはここまで「非情」に徹しなければならない」
「日本人はお人好しすぎて戦争に向いてない。この点を徹底的に反省しておかねばならない」
…つまり、日本人は戦争しない方が良いという事だと思うが…。もし、「徹底的に反省」して「非情に徹する」事が出来るようになったら、それはもう我々が愛する「日本人」ではない別の文化を持った別の人種になるという事ではなかろうか?
まぁ、そういう「弱い」民族は自然淘汰されるのかもしれないけれども、無理に「非情」になったとしても、多分すぐボロが出て結局ボコボコにやられるだけだと思う。それなら、相手に媚びへつらってでも生き残る道を探るのも、一つの見識ではなかろうか?
大体、「日本は蚕以外には固有の産物はほとんど何も無い」のであるから、昔ならいざ知らず現在において戦争するデメリットはあってもメリットはない。
逆に他国にとっても資源が全く無く、狭い国土に人ばかりうじゃうじゃいる日本を乗っ取るメリットはない。
「北朝鮮のテポドン・ミサイルによる日本国の頭上通過をいまだに「人工衛星だから問題ない」などと言っとるボケがおるが こんなタイプのやつが日本を敗戦に導いたのだ」
暴論。
「高村さんの2人の男子のうち中学生の兄が葬儀の時…」
高村さん享年78歳。30歳以上若い奥さんと再婚ということなので、63〜5歳の時にもうけた子供ですね。私の父は、終戦の時に2歳なので戦争を知らない世代なんですが、戦中派の子供が私よりも遥かに年下とは…^^;。
「高村武人…名前の通りに生きたりっぱな軍人だった」
「文と武…日本では武がないがしろにされすぎている」
「文も欠けているが特に武が欠けているこのわしが言うが武も文と同等の評価をしなければならない」
この辺も、まんま三島由紀夫と同じですね。
今回のゴーマン
「高村さんの8度目の上陸は失敗したのだろうか?」
「そうではない!」
今回は、「朝まで生テレビ」出演について。
「いきなり宮崎哲弥が奇襲攻撃をかけてきた」
「私のまわりでは小林さんはその本をギャグで描いたのではないかと言ってるがどうですか?」
「最初に水ぶっかけてからかってやろうという作戦だ」
実は、私もこの時点までは、小林が本気で慰安婦問題や戦争問題について語っているのか、それとも「カリスマとして読者を煽動する」という壮大な「ギャグ」なのか測りかねていました。
この文章から、今までの小林の言説は基本的に真面目に本音で語られている事がはっきりして、良かったです。(ギャグならギャグでも、良かったのですが^^;)
宮崎も「朝まで」徹底的に討論して、オチが「ギャグでした」では、まるっきり莫迦を見ることになりますから、最初にはっきりさせたかったのでしょう。そういう意味で、宮崎の最初の発言は、私は納得できました。
「左翼連中がまるで「脅し」のように言うセリフがある」
「この本を翻訳して外国に見せてみろ!」
「(中略)」
「こんな脅しでわしがビビると思ってるのだろうか?」
成る程、そう言われてみればこういう言説はよく聞きますね。
でも、翻訳して読んだ場合の相手の反応は、「真実を歪められた言説」→「怒る」「耳の痛い真実の言説」→「怒る」ですから、相手が「怒る」=「真実ではない」訳ではないですからね。これでは、脅しにもなってない。
もちろん、建設的な議論になる可能性もありますから、翻訳するのは良い事でしょう。
「もしわしが初めから外国向けに描くなら(中略)各国の日本観に合わせて戦略的に描くだろう 当たり前ではないか!」
成る程、それも一理ありますな。「戦略」を重視する小林らしい。
「「先生に言いつけるぞ」式に「外国に言いつけるぞ」と言っちゃった瞬間もう敗北宣言をしたも同然だ」
「自分の知力で論破しろ!」
「個がないのか!?」
御意。
「わしの場合はさしあたって日本人の「公」の意識の最大範囲は「国」なのではないか?と言っている」
「これに対して論理的反証はだれもできない」
「さしあたって」という事で、今までよりもトーンがダウンしてます。「論理的反証はできない」という事で、完全に小林の「直感」がそう感じるという「だけ」みたいです。
「生きることだけが大事、すべての死が犬死にと断ずるならば(中略)」
「妻や子が死んでも決して葬式をするな!墓も作るな!仏壇も買うな!慰霊をするな!」
「それは全て「物語」だからだ!」
「死体は生ゴミにでも出せ!」
「人間はどこまでも弱い、死者は生者のために行き続けなければならない」
「それが弱い人間の知恵なのだ」
人間は弱い。「物語」が必要。というのはその通りでしょう。ただ、「生前葬」とか「鳥葬」など既存の日本人の「物語」に拘らない生き方もあるわけですからね。極論ですが、「死体を生ゴミに出す」という「物語」もアリでしょう。
以下、内容の抜粋。
「こいつら「無差別テロ」と「戦争」の区別もついていない」
「今回読者からの手紙で大評判、わしも最も感動したのは金美齢さんである」
「金さんにここまで言わせてしまったからにはわしだって日本軍が何かご迷惑おかけしたことがあるかもしれません…」
「台湾では最近日本の統治時代を見直した教科書が使われている」
「撃墜王坂井三郎さんが言ってたことは、わしは全てわかる」
「今回松井やよりさんには何回笑わせてもらったかわからない」
「これを言ってのけた田原氏の勇気には拍手を送ろう、しかし認められない点は多い」
「今度田原氏と差しで議論してぶんか社から本にして出す事にした」
『戦争論争戦』(ぶんか社)ですね。読みました。どちらも、本音で話し合っていて面白かった。「朝まで生テレビ」の時も思いましたが、私はどちらかというと田原総一郎氏の意見の方に近いかな。
「結局大東亜戦争を肯定するか否定するかの問いに…なんと45.8%対38.1%で肯定派の勝ちとなった」
「視聴率も3.6%これはいつもよりもはるかに高い数字らしい」
確かに最近世の中、所謂「保守派」の言説が台頭してきてますね。北朝鮮の政情不安やインド・パキスタンの核保有、日本の底無しの不況などが原因でしょうか。後、『ゴーマニズム宣言』の影響も見逃せませんね^^;。
今回のゴーマン
「肯定派・勝ちの結果が出た時、わしがニヤリとしたと書いてある読者の手紙がやけに多いので何のことだとビデオを見てみた」
今回は2本立て。但し、増ページは無し。1本目は、「南京事件」と「ホロコースト」とは、次元が違う話だと言う話。…以上^^;。
今回のゴーマン