ゴーマニズム宣言の感想

(第65章〜第69章)

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mark 『第65章 やっとビッグバンの正体がわかった』
(「SAPIO」 4月22日号)

今回から、第62章の漫画内で小林が 告知した通り、4回連続で2本立てのようである。
しかし、SAPIOの表紙にはおろか、目次にも漫画の煽り文句にもどこにもその ような事が書いていない。編集部としての告知が全く無いのが不思議である。 なにか理由でもあるのだろうか?

さて、今回は金融改革(ビッグバン)について。かなり独自の解釈ですが、こういう見方も出来るということでなかなか面白い。

まず、規制緩和により銀行やタクシーの態度が良くなった。激しい競争に晒される事によりサービスが良くなり、プロとして自覚も出てくるのだ!…と、持論を展開。

銀行は給料を半分にしろ!大蔵省はタイホしろ!規制緩和ばんざい、ビッグバンいらっしゃーい
…とマスコミと共に言ってしまいそうだがわしは一度踏み止まって警戒する事にした
どーも「ビッグバン」というのが実感こない。わしの生活には必要性を感じない
これは理屈ではないでしょう、小林の直感。突然出てきた「ビッグバン」と言う新しい言葉に胡散臭さを嗅ぎ付けた。小林の真骨頂ですね。

ここから突然東京裁判の話になる。GHQの占領政策により軍部と国民が切り離され、自分達は犠牲者だと思い込んでいる国民に疑問を表明する。

わしは東条英機ら軍上層部に敗戦責任はあると思うが
「戦争責任」ではなく「敗戦責任」である点がポイント。

…にしても戦争をおっ始めた国民が一切責任を持たなくてよかったのかと言えば怪しいし…
この文章も、かなり読み取りにくい文章ですが…、小林が守ろうとしているじっちゃん達にも責任はある。と言う事でしょうね。どういう種類の「責任」なのかは、よく読み取れませんでしたが^^;。

アメリカに裁かれて意のままに洗脳された国民は大いに問題ありだと思う
確かに、この頃の日本とアメリカとでは、武力もそうですが、この手の情報操作(洗脳)力も圧倒的にアメリカの方が上でしたでしょうね。赤子の手を捻るよりも簡単だったのでしょう。それが、未だに尾を引いている部分もあるでしょう。

そして、今回のビッグバンも外圧による洗脳ではないのか?と疑問を投げかける。

…要するに銀行に預けっぱなしにしておかずにその金でもっとばくちしろってことなんだ
「これからはばくちに金つぎこむのがナウイぜ!」ってのがビッグバンの言いたいことだ
言い得て妙である^^;。でも、日本人は貯金好きの国民なので多分それ程マネーゲームは流行らないと思う。まぁ、金も無いのに商品だけ先に手に入れるローンも昔は抵抗が強くあったのに今はそれ程無いように、マネーゲームにアレルギーを持たない新しい世代が出てくる可能性はありますが…。

わしは「競争原理」は否定しない。しかし「ばくち」はイヤだ
わしも、ギャンブルはしません。宝くじも買わないし、ローンも今の所したこと無い。 でも、もし家を買うことがあれば即金では無理だろうしなぁー;_;。

今回のゴーマン

もし今 国民がこう言ったとしたらどうだろう…
(中略)
…上から下まで大衆化社会だったってことだ
ごーまんかましてよかですか?
財テクするヒマがあったらもっと働け!
働いた分しか金は入らん!
その通り!カッコイイ!
金のあるもの者が、情熱はあるが金の無い者のパトロンになって金を出すのならともかく、金の無い者同士が賭場に集まっても全部胴元に取られるだけ。生産性0。

後、関係ないけど机の上に何故かポカQ人形が載ってます。もう一体は、よしりん人形かな。何故?^^;



mark 『第66章 反・小林よしのりが増える理由』
(「SAPIO」 4月22日号)
感想のメール

2本立て一週目の2本目。

今回は、小林よしのりを非難する者の分析。

まず、反・小林よしのりのタイプ別分析。
インターネット上での小林に対する誹謗中傷について書いてあり、

インターネットは社会でバカにされがちになった左翼思想の人達のうっぷんの はけ口でもある。いわばうんこ溜めのようなものだ
と書いてある。これを読んだ読者が、「インターネット」=「うんこ溜め」という 間違ったイメージを持たないことを祈る。

そして小林は、柳美里は、「王様は裸だ」と言われてヒステリーを起こしている。
又、脆弱なアイデンティティーを保つために精神を反・小林よしのりに置いている読者も居ると言う。

アイデンティティーのための「反・小林」派にはかなり危険な人もいるがわしが『ゴー宣』やめたらこの人達はもっと危険だろう
がんばって憎まれてやるしかない
なかなかここまでの覚悟は出来ないものである。今回は、特に過激にヒール(悪者)の役を演じてますね。ここまでやられると逆に阿呆らしくなって、バッシングも少なくなるかも^^;

「反・小林」の人達に共通する性向として「私が正しい」と主張したがることがある(中略)
アホとしか言いようがないね。そんなこたー読者が決めるこった
それよか人が正しいだけの者について行きますか?
正しい「だけ」の人に人はついて行かない。

結構 知識人の中にも「正しいはずの私にこそ耳を傾けるべきだ」とだけ思ってイラついてる人は多い
多分、まともな恋愛をしたことがないのだろう
おっしゃる通りでございます。参った!^^;

ビルの上から力強く、ケツの穴をおっぴろげ泣かんばかりに、せつせつと狂おしくもがきながら、「私が正しい!」と叫んでいる人達の絵。ワハハハハハ^^;;。

その後、学歴秀才批判。その代表として、又々 小林の嫌いな宮台真司を上げている。気付いたことは、出来るだけ宮台を無表情に描こうとしている事である。「おやじ〜」と指差したり、舌出して踊っていたりしている絵は、出来るだけ小さく描いてある。安部英のようにキャラクターが立って親近感を持たれないようにするためであろうが、ちょっと残念。

人は倫理を求め続けずにはいられないし罪の意識はかならずある
わしの中には神がいるが宮台の中には神がいないのだろう
小林と宮台の一番大きな違いとはココなんでしょうね。

(宮台は)旧システムのレールからはずれようのない秀才である
はずれたら生きていけない人間でもある
(中略)
わしはこの様な「権威街道まっしぐら」の知識人に対して反権威の邪心がわいてくるのを押さえられない旧システムのレールから完全にはずれたヤクザもんの性なのだろうか?
なかなか鋭い分析!多分そうでしょうね。学歴コンプレックスを持ってるから逆に相手の学歴に拘っている^^;。「反・小林よしのり」の人達の心情と相似形かもしれない。自覚してるかしてないかの違いだけで。

言っておくがわしは公的機関でも中立機関でもない。新聞がイメージ操作するのはまずいかもしれんがわしはわしの主観で描かせてもらう
新聞も中立である必要は無いと思うけどね。大事なのは、「新聞は中立である」という幻想を持たない事と、本質を見極める目を持つ事。読者の質を上げることでしょう。

「ふふっ、よしりんにはあの人がこう見えるのね」「そっくり〜〜〜」「いや、似てないよ〜〜」「自分ばっか良く描いて〜〜」「わはは、たしかにあいつこーいうフンイキしてるよ」
読者は色んな感じ方をする。操作のしようがない
御意。

たかが漫画で読者を操作など出来るはずがない
これは嘘ですね。こういう時だけ「たかが漫画」と言うのはずるい!。 直前の阿部英の話でも、自分の似顔絵の影響力について認めてるんだし。
「漫画で読者を操作できる。その時に問題なのは、漫画家ではなく操作される読者の方である!」
そう、はっきり言えばいいのにぃ。

問題なのは「反・小林よしのり」のやつらが「小林よしのりは厳正中立な公的機関であり小林の評価は決定的致命的なものである」と思い込んでしまっていることだ
これは、私も思ってました。どうしてこんな風に思い違いする人が出てきたのかな?

つまりわしこそが評価の基準を与える父権だと心の底で認めているのである
そういう事になりますな。

そして実はまったくその通りなのであって
あまりに多くの人がうなずくから、それが恐くて「反・小林よしのり」はどんどん増えていくのだ
うむ、そういう事になりますな。

今回のゴーマン
いずれ全員から嫌われるかもしれない
それがつらくなったら『ゴー宣』をやめねばなるまい
ごーまんかましてよかですか?
どこまでもどこまでも嫌われてやる
日本中「反・小林よしのり」になっちまえ!

呉智英は、昔は面白かったが、現在の『ゴーマニズム宣言』は、漫画としては面白くない。しかし、現在の『ゴーマニズム宣言』は、漫画とは別の物になり、それが面白いのだからそれで良い。漫画家が漫画だけで面白いものを作らなければいけない訳ではないのだから。という様な事を書いていた。私も、別に漫画家が漫画だけを作らなければいけないとは思ってないですし、「面白くあるべき」というのも創作の絶対条件だとは思ってないのですが、現在の『ゴーマニズム宣言』は充分「漫画」だと思っています。今回のラストなんて、漫画の面白さその物だと思うのだが、如何?



mark 『第67章 盲導犬の「犬権」を守れ』
(「SAPIO」 5月13日号)

2本立て二週目の1本目。

前回は、全然触れられていなかったけど、今回は、表紙に「特別版」、目次に「16ページぶち抜き第2弾!」と書かれている。でも、なんか扱いが小さいよーな気がする…。

さて、今回は、子供の「人権」を守るよりも犬の「犬権」を守る方が大事じゃないか? というお話。

もちろん、本気でそう思ってる訳ではないが、必要以上に「人権」を庇おうとする今の風潮を戯画化するために「犬権」などを持ち出したのだろう。
大体、盲導犬は人間の「道具」であって、「犬権」は蹂躪されているでしょう。仮に、飼い主と盲導犬との間に「信頼関係」とやら(人間の思い込みの様な気もするが)があったとしても、それをそのまま「盲導犬」→「子供」に当て嵌めるのは無理がある気がする。

まず、自分の事を「貫禄が服着て歩いてるようなもの」と言う小林。

服を脱いだらかんろくがかんななかんぱちとパワーアップしそうでこわくてこわくて…
今回の話の重要な伏線になっているようなのだが、「かんななかんぱち」とは何の事か私には分からなかった…、誰か教えて下さい^^;。

今日銭湯にすごいナマイキなガキがいましたよ
最近の「ガキ」は、生意気で躾がなってないという事を、アシスタント達の乏しい経験から実例を示していく。
こういう実例を挙げるやり方は、「いるいる」という共感を得られやすいし、等身大の「身の丈に合った怒り」を描けるので、『ゴーマニズム宣言』らしいアプローチの仕方である。しかし、そこから話を一般化する際に、大きく結論が歪む可能性を秘めている。今回に限らず、この点は注意して見ていきたい。

躾のなっていないガキよりも、盲導犬の方が立派だと言う話の後、
もう子供のことなんかどうでもいい!
と突き放す小林。

「絶望は、愚か者の結論である。」


「人権」やら「個性」やら戦後の教育は全部間違ってたのだ
戦後教育を受けてきたものとしては、直ぐには受け入れがたい発言。自分の事を否定されているようだから。
実際、ベストではなくともベターな選択だったのでは?と、思わないでもなかったりしたりする。

今回のゴーマン
今問題なのはガキの「人権」よりも盲導犬の「犬権」だ!
ごーまんかましてよかですか?
盲導犬の「犬権」を守れ!
人間のガキを首輪でつなげ!
人間のはたち過ぎのガキどもを保健所に送れ!
わしはかんろくたっぷりかんななかんぱち気味に力説した
今回、感嘆符が多い。よっぽど怒ってるのね。落ちが分からないのが、悔しい。



mark 『第68章 「南京」と「慰安婦」宣伝戦争の現状』
(「SAPIO」 5月13日号)

2本立て二週目の2本目。

今回は、情報戦の重要さについて。

銃火を交える戦闘だけが「戦争」ではない
「情報戦」「宣伝戦」という戦争もある
おっしゃる通りですね。しかも、日本人はこういう事に慣れていない。どちらかといえば、自分の正当性をはっきり主張するよりも、なぁなぁで済ましたがる。結果的に、クソを掴まされる。…こういう呑気な所も、日本人らしい所ですけどね^^;。

で、『ゴーマニズム宣言』は、今まで情報戦に勝ってきた。少なくとも、自分の意見をはっきり主張してきた。凄い事だと素直に思います。

で、小林の「自己の正当性の主張」。かなり勉強してます。コマが真っ黒になる位書き込まれた文字文字文字。この情報の真偽はここでは置いておきます^^;。

銃火を交える戦闘だけが「戦争」ではない
今日本は「情報戦」「宣伝戦」という戦争を仕掛けられ敗退する一方であり戦果として賠償金を要求され国威は減衰 国の名誉も地に堕ちんばかりだ
どこの国でも宣伝戦の重要性を認識し戦略を練っているのに
日本は伝統的にそれができない
それは、果たして美点なのかどうか。私は、こういう間抜けな所が日本人の良い所だと思っとりますが^^;。でも、あんまり付け込まれるようだと、いつまでも笑ってられなくなるかもしれません。もう少し、あざとさも身に付けるべきなのかもしれん。

そして今では戦う気概はおろか宣伝戦を戦っているという自覚さえも無いままに1つの戦争で2度3度と負け続けていくのみなのだ!

あやまるのは簡単だ だらだらとどこまでも自分の意志を捨てておけばいい
脳天見せて冷や汗かいて しまいにゃ奴隷になればいい
理を通すのはむずかしい
工夫がいる ユーモアがいる 主張がいる 礼がいる
頭が良くなくちゃできない
はっきり言って、凄いです。完敗。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
国民の名誉を賭けた情報・宣伝戦争の勝敗に気をもんでいるのがたかが漫画家のわしとは一体どーいう国だ?
本来政治家や外務省が真っ先にこれに対処すべきでは?
気骨のあるプロは国の中枢に行く程いないのだろうか?
そーだそーだ!。…しかし、「たかが漫画家」ごときにここまで言われる日本の政治家って…。いっそ、よしりんが政治家になるってのはどうでしょうか?。世界大戦になるかも知れんが^^;。



mark 『第69章 古代史−国のはじめ・天皇のはじめ』
(「SAPIO」 5月27日号)

2本立て三週目の1本目…と思ったら、今回は16ページ一本でした^^;。

今回は表紙に「パワーアップ第3弾!」と銘打っている。しかし、どうも編集部の扱いが毎回ちぐはぐで一貫性が無い様な感じがする。「わしも「古代史」にはまったの巻」ってのもなんだかなぁ…。目次には、増ページについてはまったく触れていない。

さて、今回は日本人のルーツについて。同じ資料からでも「自虐」ではない歴史を紡ぐ事が出来る!という事。多少ゴーインですが^^;

今回は、じっくり読めば面白いし、色々言いたい事もありますが、なにせ16ページ。細かくチェックしていくと冗長で散漫になりそうなので、ピンポイントでコメントしていきます。歴史は苦手でしたし^^;。

この日本列島に世界文明よりも古くから高度な文化と社会があったのだ!
古けりゃ偉いわけではない。世界文明だって、調べてみたらもっと古くからあったかもしれないし。

高森明勅恐るべし!確実な知識からの洞察で古代を解き明かすシャーロックホームズみたいなやつ…!
そうかぁ?^^;。単なる仮説の一つにしかすぎんと思うが。

古墳から同じ副葬品が出てくるという事は同じ死生観同じ宗教観の上に成り立つ同じ儀礼が行われていたということだ。同祖同族意識の観念の共有があったわけだ
古墳は朝鮮半島で5世紀段階のものがやっと出てきている
…ということは、朝鮮半島とも「同祖同族意識の観念の共有があった」という事ですね。

公共事業としてあるいはお祭りとしてにぎやかで景気のいいものだったのではなかろうか?
ユニークな発想だが…、古墳のような非生産的な物を公共事業で作るはずはないし、祭りというのも無理があるような…。欄外に書いてるように「人柱」も、祭りの一種?呪術的な要素はあったでしょうが。

「はには、はおー。めには、めおー。へには、へおー。そんな踊りをやっていたらしい
^^;。ギャグを外してる^^;。

冊封体制
今回のキーワード

「天皇」とはシナの冊封体制を抜け出してわが国が自主独立を図る覚悟を示した名称なのだ!
で、大多数の農民にとっての意味は?

彼ら(朝鮮)は今でも無意識のうちにこう思っているのだ「中国が親で朝鮮がお兄さんで日本が弟わたし達の方が中国に近いもん☆」未だに精神的にシナの冊封体制から抜け出せない
地理的な問題もある。中国と陸続きの朝鮮半島と、日本海で分断されていた日本列島とでは、中国の影響力は必然的に変わってくる。
日本人が、自分達のアイデンティティを確立するために歴史を作るのは良いと思うが、他人を貶めて、相対的に自分が浮かび上がろうとするような足の引っ張り合いはみっともない。

…インドは神話か宗教が答えを出すだろう…
インドは、核実験によって国民のアイデンティティを確立したみたいですね。パキスタンを憎む(貶める)事でもアイデンティティを確立してるみたいです。憎しみからは何も生まれないのにね。

「歴史」はやはり存在意義の一つの説明の仕方だ
御意。さて、どう説明しようか。

「私は私だ!」と言えるのは常に少数者である。絶対に少数者である
今も…そして将来はもっとおびただしい人々が「存在の堪え難い軽さ」の前に自らを制御できずに堕ち続けキレ続け病み続けるだろう
存在の軽さに耐えられない…。結局、小林は大多数の人は「愚民」だと言ってる訳ですね。…多分、その通りでしょう。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
豊かになった今こそ大人は全力で子供たちの存在への問いかけに答える構えを示さねばならない
今を知り自分を知るために歴史は注意深く要請されている
御意。

(おまけ)
・71ページ欄外のコメント。
…国家はたかだか18世紀からだから、もうすぐなくなる。というノー天気な知識人もいる。これからは地球人の時代だと、錯乱している人も多い。
「錯覚」ではなくて「錯乱」なのね^^;。幕藩体制の頃は、「長州人」「薩摩隼人」という意識はあったが、「日本人」という意識はなかった。ベルリンの壁が崩れ、ヨーロッパの通貨がユーロになっていくように、徐々に文化は均され意識は均質化していき…最終的には地球は一つになるでしょう。それは、人類の黄昏でもあるわけですが…。

・74ページの欄外。トッキー時浦君、初登場!…だよね?

・81・82ページ欄外のコメントが無い!…時間が無かったのかな?

・81ページ欄外の「応援レター」。「「広義の強制」とか言ってる奴らを完全論破しとるんだ。
「完全論破した」と言ってるのは小林自身です。本人がそう思うのはいいのですが、読者までその言葉を鵜呑みにして使うのはどうかな。


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