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章 |
タイトル |
「SAPIO」 |
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第210章 |
女児殺人・ネット思考と化す世論 |
7月14日号 |
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内容 |
今回は、2本立て。2本目は、小学生6年女児による同級生殺人事件について。8ページ。
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感想 |
「おかしいのは 今回の殺人少女と 「2ちゃんねる」などの ネット上の言葉が 同質であるにも拘らず、 ネットで少女を 断罪しようとしている 現象である。」
この辺の認識が違っているような気もする。
少なくとも、2ちゃんねらー(「2ちゃんねる」に書き込む人)で、「義憤」に駆られて、「道徳的制裁」の意味で断罪している人はほとんど居ないと思われる。
むしろ、加害者を英雄視する発言もあるようですし。徹底的に無責任で「私的」な発言なのは、確かですが。
「社会的発言をする ということは、 反論や、抗議や、 訴訟や、脅迫など、 時には身の危険すら 覚悟せねばならない。」
本来は、「言論の自由」が保障されねばならないが、残念ながら現実はそうです。自分と違う意見に対する非寛容。これは、「文明の衝突」に見られる宗教戦争にも連なる人間の業なのか。
『週刊文春』のプライバシーと「言論(報道)の自由」問題。『週刊文春』は匿名団体ではないので、今回の議論の例としては適切ではないと思いますが。
「まさにネットこそは 「言論の自由」が 完全に達成された 民主主義の 楽園ではないか!」
ネット=匿名というのも、本当ではないし、仮に誰にも見つからずにトイレやネットに落書きが出来たとしても、書き込んだ主体=本人は確実に「居る」訳だから、その発言者は「居る」のだと私は思っています。
後、生まれた時から電話があった人と無かった人、テレビがあった人と無かった人、ビデオデッキがあった人と無かった人、携帯電話があった人と無かった人とでは物の考え方が違うのと同様、パソコンやネットでの言論も、私達より後の世代。生まれた時からインターネットが存在した世代とでは、捉え方がまるっきり違うと思う。
私にとっては「携帯電話を持つべきかどうか。」と考えてしまうが、テレビは考える以前から既に「ある」訳です。今の子供達も、「パソコンを使うべきかどうか。便利かどうか」考える以前からすでに「ある」。この差は、思っている以上に大きいと思ってます。
「○か×か? 善か悪か? ブッシュ脳! 「2ちゃんねる」保守!」
「2ちゃんねる保守」という、新しい造語が出てきました^^;。「短絡思考」の意か?
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今回の ゴーマン |
ごーまんかまして よかですか?
「日本社会は急速に 「ネット思考」と 「短絡世論」に 落ちていっている。」
「ネットだの チャットだのは、 異常者の 共同体と思え。」
「大人たちよ、 少年少女を、 意識下の迷路から 救い出せ!」
大人は、自分が使えない機械を子供が使っていると不安になる。しかも、悪い事をしていても、それすら分からないとなれば尚更。取り上げてしまうのが、一番手っ取り早いと思う気持ちは分からなくもないが…。
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柱の言葉 |
IT教育推進の提灯持ちをした者たちよ、若い人々が短絡思考に陥ったこの惨状を見ろ
IT教育が直接の原因では無い(*)だろうが、確かに最近「短絡思考」が蔓延している。
(*) 現実の世の中は、原因は1つではなく複合的である。IT教育だけをスケープゴートには、出来ないだろう。
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おまけ |
今回も、「応援レター」無し。
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章 |
タイトル |
「SAPIO」 |
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第211章 |
わしの「感情」が判断する主権移譲 |
7月28日号 |
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内容 |
今回は、わし(小林)について。8ページ。
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感想 |
今回は、久々に小林自身の創作スタンスや、ゴーマニズム宣言の立ち位置についての説明。
「「情報」そのものよりも、 情報の分析の基調となる わしの「感情」の方が 大事なのだということを、 そろそろ諸君らには 気付いてほしいものだ。」
1ページ目の最後のコマ、2ページ目の最初のコマなどは、『デロリンマン』(ジョージ秋山)のデロリンマンやオロカメンを思わせる描写^^;。
個人の感情は、過去から未来への民族的アイデンティティーと、社会的な繋がりによって初めて安定するという主張。
「知識や情報は必要だが、 それを元に洞察するのは、 あくまでも個人の「感情」である。」
この問題は、私も常々考えて来ました。
「思考」の出発点として「感情」は、必要だと考えています。そもそも、「感情」を出発点にしないと「問題意識」も起こらない訳ですから「感情」抜きの「思考」はあり得ないとも思ってます。
「水俣病の患者は、かわいそう。」「原子力発電所は、何となく怖いような気がする。」そこから、「思考」や「勉強」を経て出発点の「感情」が補強される場合もあれば、「感情」の修正を迫られる場合もあると思います。その時に、特定のイデオロギーに縛られずに軌道修正できるかどうかが、重要だと思います。出発点である「感情」を修正するということは、なかなか出来ない事だとは思いますが。それが、理想の在りかたですね。
「(前略) しかも、わしに関する掲示板 の中には、(中略) あるいはまた、 左翼が保守のフリをして、 わしの影響力を削ぐ工作活動をしている。」
被害妄想?。
「これに携帯をつないで 編集者や ジャーナリストとの メールくらいしかしない。」
「インターネットは見ない。」
携帯電話は、使いこなしているようです。
後半は、イラク問題について。
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今回の ゴーマン |
ごーまんかまして よかですか?
「わしは、 わしの「感情」に ケガレを持ちたくない。」
「独立心と 道義心を持つ者たちの 言葉の共同体を 大切にしたい。」
作家の立場として、至極真っ当ですね。
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柱の言葉 |
膨大な知識や情報に基づく分析よりもケガレなき感情による洞察が優ることに気付け!
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おまけ |
今回も、「応援レター」無し。
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章 |
タイトル |
「SAPIO」 |
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第212章 |
最高裁で逆転勝訴したわし |
8月18日号 |
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内容 |
今回は、小林が訴えられた名誉毀損裁判について。8ページ。
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今回の ゴーマン |
ごーまんかまして よかですか?
「たかが「ドロボー」の一語で、 あっという間に最高裁まで 駆け上った男・小林よしのり!」
「そして劇的な 逆転勝訴!」
「『ゴー宣』の歴史に、 新たな伝説の1ページを 描き加えさせてもらって、 ありがとうよ!」
「でも、もう二度と こんな面倒な裁判 したくねえっす!」
「瀧澤・中村弁護士、 オウムの時から ずっと裁判で、 おつかれさま。」
「今後は、裁判なしでも 遊んであげるから、 寂しがるこたないよ。」
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柱の言葉 |
4年にわたるゴー宣裁判、勝利とともにここに終結!次号よりさらに新たな闘いが始まる!
次回以降、似顔を黒く塗り潰す技法も、減ってくるという事でしょうね。
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おまけ |
今回も、「応援レター」無し。
(欄外情報)
「裁判に負けても勝つ方法はすでに考えていたのだが、いやぁ、惜しかった。やっぱり勝っちゃったよ。」
この辺で、小林が単なる「傲慢」だけではなく、緻密で狡猾な「計算」をしている事がわかる。おそろしや。
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