今回は、『戦争論3』について。増16ペ−ジ。
「わしの予言は 当たり続けている。 『戦争論3』で論じた内容は ますます輝きを増すだろう。」
凄い自信ですね。「ゴーマニズム」の所以か。
「この日本国内では わしの力量こそが 「アメリカ」なのだ!」
凄い自信ですね。「ゴーマニズム」の所以か。
「せいぜい インターネットにでも 逃げこんで、 定置網に引っかかって わしの悪口を 絶叫してろ!」
「商売には ならないけどな!」
商売になる「言論」。「言論」を「売れる」という観点から論じるのは、小林らしいですね。
インターネットを「逃げこむ」と、否定的に捉えているのも、小林らしい。
「自分の腹のままに モノ言って商売できない 知識人は、哀れですな。」
例え商売になったとしても、自分の意に沿わない「言論」では意味がないという事か。ま、当然といえば当然か^^;。
でも、言いたい放題言って、それで商売になる稼業って、滅多に無いような気もする。
例えば映画でも、スポンサーの意向で監督の思っていた内容に出来ない事もあるでしょう。
そういう意味で、自分の思っている事を言いたい放題の小林は、凄い。
「そうか〜〜〜〜 あと20年も待ってりゃ 総理になれるのか…」
「自分より圧倒的に バカな選挙民に ぺこぺこ頭下げて 人間として最大の 屈辱を味わうことなく 総理に…」
「自分より圧倒的にバカな」…、凄い自信ですね。「ゴーマニズム」の所以か。
「よ〜〜〜〜し、 人類史上、最善の 独裁者になってやる!」
「わしの一代限りの独裁で 善政の模範を示して やるぞーーーーっ!」
凄い自信ですね。「ゴーマニズム」の所以か。
「黄色人種の代表として白人列強と戦って、 そして壮絶に負けた結果、 東南アジアの国々が独立していく。 これすべて、人類史の運命!」
「黄色人種の代表」は自認しただけでしょう。植民地が独立したのも、言ってみれば結果論。日本が戦わなくても独立は時代の流れだったかもしれない。そういう歴史観を持つ事自体は否定しないが、他人や他国にまで押し付けられる類のものとは思えない。
「負けた戦争だからこそ、 死んだ兵隊たちを 最大限に称えてやるのが、 子孫の務めではなかろうか?」
「人間の情ではなかろうか?」
「聖戦」と持ち上げる事だけが、「称える事」とは限らないだろう。無責任に持ち上げられて、迷惑に思っている「兵隊」もいるでしょう。
「犬死にだった」というコメントに対して、「英霊を侮辱している!」と短絡するのと同じ。
その辺の視野の狭さが気になる。
「「大東亜聖戦大碑」や 「靖國神社」を守る者が 好戦的で危険な連中という イメージ操作は、もう通用しない。」
小林と中田さん2人だけで、反証とはならないでしょう。しかも、後の議論で見るように「大義」さえあれば、北朝鮮にも武力による威嚇を積極的に進めるべきという考えのようですし。
「神道を信じているのなら、 人間が勝手に神様に向かって 「あなたの神様の資格を 取り消します」などと 言えるはずがないことくらい わかるでしょう?」
「同行していたTBSの記者は その辺のことを韓国のばあさんに 教えてやりなさいよ。」
まず、「神様の資格」を与えたのは誰か?。神様だろうか?、否、人間である。ならば、神様の資格の剥奪も、人間が出来るはずだ。
仮に、「神様」が資格を与えたのだとしても、バチカン市国のローマ法王だって、過去の「魔女狩り」や「天動説」を否定しているハズだから、神様が過ちを認めても問題無いだろう。日本の八百万の神は、人間臭いし訳だし。
自分の身内が、勝手に「オウム真理教」などの「神様」の1人にされていたら、文句の一つも言いたくなるでしょう。私には、この韓国のおばあさんの主張は理解できます。
「先生は「反中」「反韓」で 「反米」なんですね?」
「そう。 「反露」でもある。 戦勝国の全てに 「反」の感覚を もっている。」
なるほど。分かり易い説明。
「アメリカが嫌いなのは やつらが強欲でバカだからだ。」
「権力は腐敗する」の例に漏れず、アメリカも腐ってきているのは確かでしょう。
マイクロソフト等を見ても、ライバルと競争している間は、他所よりも良い条件で惹きつけておいて、1強になれば製品内容から価格、サービスまで全てを支配できる。
今のアメリカは、1強になってしまって、誰も暴走を止められなくなってきている。
だから、「強欲」で「バカ」な部分が強く出てしまっているのだろう。戦前の日本も、同じように腐っていたのかもしれない。
「ただ、北朝鮮に対する 親米保守派の 「強硬論」について ひとこと言っておく。」
「空威張り するな!」
「虎の威を借る狐」って事ですね。
「プライドを保って 拉致被害者を 救い出すためには、 日本も核を持って 自主防衛を固めて 「強硬論」を主張する しかない!」
過激な主張ですね。「最後の手段」として「武力」を担保したいというのは分からなくもないですが。しかし、それでは「広島・長崎の悲劇」は永遠に続く。
「ポチ保守しょくん! まだアメリカを信じるか?」
「わしを バッシングしたからには 信じるしかなかろう。」
「それとも、わしに 謝罪するか?」
凄い自信ですね。「ゴーマニズム」の所以か。
小林に謝罪するとかそういう次元の話では無いと思うのだが…^^;。
「わしは必ずや、やつらの信用性を 粉々に打ち砕くだろう。」
物凄い迫力のある絵柄です。物凄い執念を感じます。
「わしは常に 若者に 期待している。」
頭の固まった「長老」よりも、予断を持っていない「若者」をまず「教育」する。という戦略は、正しいでしょうね。
10年、20年後に、ボディーブローのようにこの国の言論状況を変えていくでしょう。
今回のゴーマン
「『戦争論3』では、 80過ぎの方からも はがきが来ていた。 とても、ありがたい。」
「しかし若者のはがきが 10代から、多くなっていること、 女性も多いことが、 希望を大きく膨らませる。」
今回は、「独立」について。8ペ−ジ。
まず、「愛国心」がテーマの「朝まで生テレビ」に出演した事について。金美齢氏の発言を批判的に取り上げる。
この金美齢氏や司会の田原総一朗氏の似顔絵だが、以前に描かれた時と比べて、明らかに「のっぺり」と「醜く」描かれている。多分、無意識なのだろうが、無意識的なだけに余計小林の本音が反映されていると言えるだろう。
「台湾人はこう考える だろうなあと、 予測していた。」
「台湾人」と十把一絡げに断じている。台湾人にも、多様な意見があるだろうに…。
「台湾と、 二千年の歴史の 蓄積のある 日本を、 一緒にして ほしくはない!」
まるで、台湾には歴史が無いかのような発言。歴史の蓄積は確かに大切にしなければ失われてしまうものだが、偏執狂的に保護して歪んだ形で生き残っても意味がない。
「「お父さんの強盗を 支持する」 こんなことを言う 子供がいたら やはり親が親なら 子も子だという レベルの話でしかない。」
小林は、日米同盟を上記の様に翻訳して批判するが、私にはこの子供の気持ちもわかる。強盗の例えだと過激に感じるかもしれないが、「身内」を守ろうとする子供の気持ちはごく自然な感情に思える。
「戦後民主主義の肯定」「国益=国民の生命と財産」という考え方を、「子供部屋の平和」であると断罪。
「だが実は、 「自力で子供部屋を 出るか否か?」が 大人になるための 条件なのだ!」
この辺りの認識は正しいと思う。
「長い間、 「子供部屋の平和」に 甘んじたおかげで、 日本人には とうとう大人が いなくなってしまった。」
これも、その通りでしょう。
「親米保守派もサヨクも 「自由」と「民主」が 大好きだが」
「もっと上位の価値は 「独立」である!」
この部分に、素直に同意出来ない自分がいます^^;。この違和感は、私自身が「左寄り」だからかもしれません。
勇ましいのは良いけど、それだけではどうにもならない。
今回のゴーマン
「アメリカの評価はもっと落ちる。 アメリカ国内でも 反省・見直しが始まるだろう。」
「『戦争論3』が、 リスクを背負って描き上げた 予告の書だったことが 今後、明らかになっていく。」
今回は、男の現実主義について。8ペ−ジ。
「日米同盟が 日本の「現実主義」」
この現実主義には、「苦い思い」を感じるべきだという主張。
「それが「歴史感覚」を 身体に宿すということであり、 日本人の「マナーとしての反米」 ということである。」
今、『菊と刀』」(ルース・ベネディクト)を読んでいるのですが、著者が日本人を理解する為のテキストとして『忠臣蔵』を上げています。なるほど、日本人が大好きな物語であり、日本人のメンタリティを理解するには良い素材だと思いました。
主君の「恥」を自分の恥とし、耐えに耐えながら遂に討ち果たし、汚名を雪ぐ。今回の、小林の主張も、このテキストを基に考えると分かり易いかも。
源平合戦の頃から、落武者や子息は根絶やしにしたという。それは、この「仇討ち」の恐ろしさを良く知っていたからに他ならないだろう。
逆にいえば、この「怨(うらみ)」の連鎖が、未だに世界から戦争が根絶しない根本原因とも言える。
小林の主張には、この辺りに関する問題意識は希薄に感じる。「戦争は無くならない」「権力闘争は、根源的な欲望」…、確かに正論かもしれませんが、それこそ「現実主義」に安住してしまっているような…。
「父が公務員だったので、」
小林は、確かお寺の息子として生まれたはず。祖父は住職だったと思うが、父親は公務員だったのか?。とにかく、「現実主義」的に生きてきたそうだ。
漫画家は、「現実主義」ではなく「実力主義」であるという主張。
本来、「現実」と「実力」は対立する言葉ではないのだが、後ほどの論旨からこういう話の展開になっている。詭弁と言えなくも無い。小林も、父親の現実主義的な生き方を否定的には描いていない訳だし。
「男の人が 「現実主義」という 言葉を口にするのは 「力」が自分の手元に ないときなのです。」
つまり、「実力が無い」=負け犬の遠吠えが、「現実主義」である。という定義付け。
「「現実主義」は 苦いものなのだ。 声高に叫ぶ ものではない。」
現実的に生きる事は、確かにことさら自慢するほどの事ではないのかもしれないが、決して卑しい事でも悪い事でも無いハズです。
「驕れる者は 久しからず。」
驕れる平家は 久しからず。
「自分の頭で考えて、 リスクを背負って、 「現実主義」から 「実力主義」の世界に 踏み出そうなんて、 親米ポチも 日本国民も、 誰も本気で考えては いないのである。」
確かに。
今回のゴーマン
今回は、イラクへの自衛隊派遣について。8ペ−ジ。
今回は、『よしりん戦記』の宣伝&『差別論スペシャル』批判への反論。8ペ−ジ。