今回は、 第102章の反響について。
前回、私が予想した事が結構当たってたようです^^;。
1. 本当にヤバイ内容は、描いてないだろう
2. 「つくる会」関係者には衝撃的な内容なんでしょうね。
3. 穿って見れば先手を打っての「噂の眞相」対策。
4. 今は、メリットの方が強いので「つくる会」での発言権が強いが、一旦疎まれると、さっさと追い出されるかもしれません。
1.は、
「公にはそういうことにしとこうと配慮して書いたのに(つまり正確な情報公開ではない)」
2.は、
「しかし自由主義史観の一部に猛反発した者がいる」
3.は、
「便所左翼に内幕バクロで負けてたまるかっ」
4.は、欄外の発言。
「わしが邪魔なら、いつでもやめる。遠慮なく言ってくれ。」
で、本題。
「今回「作る会」の エピソードを使って わしが描くテーマは 「情報公開」の 不可能性についてだ」
後半の、
「…そしてどう 公に説明するのか? わしはとてもこんな めんどくさい仕事 引き受けていられない」
と合わせて考えると、今後『ゴーマニズム宣言』でこの問題について描く事はないという意味にも取れる。実際めんどくさい作業ですし、「つくる会」関係者以外にはほとんど興味のない話題ですからね。
しかし、それでは今回のタイトルと整合性がなくなるし…。
「ナメやがって…」
(中略)
「じゃ 今度は 目撃者が多数いるが この総会の様子も フィクションか?」
例えば、6ページ目の6コマ目の藤岡氏の顔を青ざめた顔で描いてあるがこれは小林の主観であるはずで、この部分はフィクションでしょう。
『ゴーマニズム宣言』で、掬い取れる現実は所詮その程度であり、勿論それは凄い事なんです。
その辺を小林は見失ってしまってるのかもしれない。
「この会場のだれもが あれでだまされても…」
「わしだけは だません!」
「「まぁ 大人のうまい 言いわけと思って…」と なだめる者も いるかもしれんが…」
「ここまで ナメられて だまっちゃ いられねえ!」
「不信には 不信で 対決してやる!」
事態は、藤岡×濤川から、小林×藤岡にシフトしてきている様です。泥沼じゃのぅ^^;。
今回のゴーマン
今回は、西尾幹二著「国民の歴史」の宣伝^^;。大増16ページ。
京都にカンズメに行った時、
「わしは今 やる気になっている どいつもこいつも ただじゃおかない えっらそーに 安全地帯から 何でも わかった風な口で ウソだらけ ぬかしやがって」
「そのくせ実力もなく 堂々と己れの作品を世に問う 気迫も情熱もなく 利用できそうな時はゴマすってわずらわしそうになったら沈黙し 欺瞞だらけのクソ野郎どもに 目にもの見せてやらねばならない!」
色々、裏切られたり、不義理をされたりしてる様だ。この負のエネルギー(もちろん誉め言葉)を作品に昇華するエネルギーがまだまだありそうな所が凄い。
「資料探しに本屋に行くと 『戦争論』を批判する ための駄本が ワレモワレモと出ていて 雑誌にはわしを 中途半端にののしる 駄文が散見される」
「昔 本屋めぐりが 趣味だったのに 今は うんざりして なるべくなら 近寄りたくない」
「そんな中で 『新・ゴー宣』7巻が 発売されて ハデに 並んでいた」
「うおっ… 河原町通りの 駸々堂は 何てステキな 並べ方だっ!」
自分を批判する本が並んでいるのは見たくないが、自分の本が目立つように並んでいると嬉しい。…素直でよろしい^^;。
ただ、大川隆法の著作も専用のコーナーが設けられている事が多いように、「目立つように並べられている=その店で良く売れている」という事は言えても、「売れている=世間から認められている。支持されている内容である。」とは必ずしも言えない。また「売れない本=内容の薄っぺらな本」とは限らない。この辺、小林は勘違いしている感じがする。
「いよいよ12月頃から 左翼は犯罪的な 手口を使ってくるだろう 「言論弾圧」である」
「外圧を利用した 「言論弾圧」が 吹き荒れる予兆がある 議論を許さぬ 言論弾圧 アメリカと 侵略国家・中国が 手を組むか? しょくん 何が起こるか 注意して見抜け!」
12月に何かあったけ?この2コマ(2P目5・6コマ)の絵が、良い。にょろにょろ伸びる手が気色悪くて、いい感じ。
その後、普通のファンの男とナンパ男に声を掛けられ、キャバクラのねーちゃんに発見される。
「だれだと思ってるの? このわしを? ゴーマニズムの 小林よしのりよっ!」
「さて ここからが本題だが 西尾幹二氏の 『国民の歴史』が ついに発売された」
…、という事で本題の部分は割愛^^;。
今回のゴーマン
今回は、たのもしくふるまうということについて。(そのまま^^;)
「ゴーカーーン」
「強姦 強姦 強姦 ごーかーーん」
「号外」(号刊?)と「強姦」とを掛けてます。
「どーしたの? 辻ポート ピス美 議員…」
元ピースボートの辻元清美議員と掛けてます。ちょっと、苦しいか…^^;。
その後、西村議員の発言に大騒ぎする辻元清美達を揶揄的に描いています。
でも、キャラクター的には良い感じに「立って」(*1) ますね。
3P目の3コマ目の下半身を脱いで西村議員に馬乗りになる女性を辻元さんにしたら面白かったのに。…でも、確実に訴えられるけど^^;。
(*1)「キャラクターが立つ(=キャラ立ち)」:
キャラクターの個性が漫画家の手を離れて生き生きと動き出す状態。一般的にギャグマンガではキャラが立つ事が重要。
でも、良く知らないけど西村発言が問題になったのは「強姦」発言ではなく「核武装」発言の方がメインではなかったっけ?
筑紫哲也(名前は、読めなくしている)と辻ボートピス美とのやりとりも創作くさいが、実際はどうなのかは知らない。
「1945年 満州に 突如侵攻した ソ連兵は日本人女性を 強姦しまくったのだった」
「そして現代 反戦平和ファシズムは 言論の自由 議論の自由を 強姦し 弾圧した」
小林は、「言論の自由」肯定派だったっけ?
その後、フジテレビ開局40周年記念ドラマ『少年H』に絡めて、自分の発言が封殺された事が語られる。
「『正論』も「商売」ファシズムに強姦され検閲せざるを得なかった…という次第だ」
「商売」ファシズム…新しい造語ですね。スポンサーの悪口が言えないのは、勿論問題です。
「わかるか しょくん?」
「この世は 商売だ!」
「売れる」事に拘る小林が、「商売」を否定的に語るのは珍しい。
「「商売」の前には 言論は沈黙する」
「いずれ「南京事件」についても 議論ができなくなる 危険性だって あるんだぞ」
売れない=商売にならなくなれば、(小林が)発言できなくなるかもしれません。逆に言えば、売れれば発言できる。
前回(106章)の「左翼の犯罪的な言論弾圧」とは、この事を言ってるのだろうか?
そこから、「作る会」内部の批判に打ちひしがれる小林の内面の吐露。伊藤理事に救いを求める姿を描く。
「先日「JC・日本青年会議所」の 松山会頭と 次期会頭・上島氏 らと 会って話した」
「考えてみればわしも 社員5人の 社長なんだった」
「おお… わしだって 社長じゃ ないか!」
このコマ(7P2コマ目)の小林の自画像がなかなかグッド。
「JCの青年社長ら が「たのもしい」人間 を育てたい と 出してきたのは わかりやすくていい」
「「たのもしい」人間 …確かに 今の日本に必要 なのは これなんだ!」
この言葉の響きが気に入ったみたいです。
「ともかく 石原慎太郎は 今 すごく たのもしい」
「西村議員の 考えはいいが まだ危なっかしい」
「辻元清美に たのもしさの ひとかけらもない のは当然だ 横山ノックと 戦ってこい!」
3者の捉え方が端的に出てますね。
今回のゴーマン
「アジアの危機は これからだという時に 日本の指導者に たのもしいやつはいるか? たのもしく見せようと せめて ふるまうやつはいるか?」
今回は、天皇陛下即位十年の祝賀式典について。
「かば焼きの日」(旧ゴーマニズム宣言第○章)では、雅子さんが「天皇制反対」を叫びながら爆弾テロを起こすという「ギャグ」を描いた小林ですが、さて今回は…
「恐らくこの式典には あまりふさわしくない 小林よしのりという 邪悪な魂を持つ者が 紛れ込んでるから」
「神が 清めの雨を 降らしたのかも しれない」
正邪を対比させるためか、自画像を悪魔的に描いてます。
「天使と悪魔が 同じステージに 立っている…」
「天皇の下では このような 奇跡が 実現するの である」
小林は、自分の立場を「悪魔」の側だと自己規定している様です。
ここで、脈絡なく引用。
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僕は不思議でたまらないのだが、天皇制と呼ばれるものが、日本人にとってそれぞれみな異なる概念であるらしいことだ。その異なり方はまた個人のうちにおいても分裂的に現れる。一億人の天皇観があるだけでなく、さらにまた無数の天皇観がある。つまり未だに定まっておらず、あるいは定まらないかのごとくあるメタファーこそが日本人の天皇観なのだろう。三島は、独自の内なる天皇観を創りつつあった。
今回は、テレビ番組「知ってるつもり?!」について。
今回のゴーマン