ゴーマニズム宣言の感想

(第105章〜第109章)

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mark 『第105章 「情報公開」はカラダを張ってやるしかないぞ』
(「SAPIO」 11月10日号)

今回は、 第102章の反響について。

前回、私が予想した事が結構当たってたようです^^;。

1. 本当にヤバイ内容は、描いてないだろう

2. 「つくる会」関係者には衝撃的な内容なんでしょうね。

3. 穿って見れば先手を打っての「噂の眞相」対策。

4. 今は、メリットの方が強いので「つくる会」での発言権が強いが、一旦疎まれると、さっさと追い出されるかもしれません。

1.は、
公にはそういうことにしとこうと配慮して書いたのに(つまり正確な情報公開ではない)

2.は、
しかし自由主義史観の一部に猛反発した者がいる

3.は、
便所左翼に内幕バクロで負けてたまるかっ

4.は、欄外の発言。
わしが邪魔なら、いつでもやめる。遠慮なく言ってくれ。

で、本題。

今回「作る会」の エピソードを使って わしが描くテーマは 「情報公開」の 不可能性についてだ
後半の、
…そしてどう 公に説明するのか? わしはとてもこんな めんどくさい仕事 引き受けていられない
と合わせて考えると、今後『ゴーマニズム宣言』でこの問題について描く事はないという意味にも取れる。実際めんどくさい作業ですし、「つくる会」関係者以外にはほとんど興味のない話題ですからね。
しかし、それでは今回のタイトルと整合性がなくなるし…。

ナメやがって…
(中略)
じゃ 今度は 目撃者が多数いるが この総会の様子も フィクションか?
例えば、6ページ目の6コマ目の藤岡氏の顔を青ざめた顔で描いてあるがこれは小林の主観であるはずで、この部分はフィクションでしょう。
『ゴーマニズム宣言』で、掬い取れる現実は所詮その程度であり、勿論それは凄い事なんです。
その辺を小林は見失ってしまってるのかもしれない。

この会場のだれもが あれでだまされても…
わしだけは だません!
「まぁ 大人のうまい 言いわけと思って…」と なだめる者も いるかもしれんが…
ここまで ナメられて だまっちゃ いられねえ!

不信には 不信で 対決してやる!
事態は、藤岡×濤川から、小林×藤岡にシフトしてきている様です。泥沼じゃのぅ^^;。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
何しろ内部の敵から 身を守るために ボディガードを つけられている 今のわしだ
わしを守れるのは 「良き観客」である きみたちしか いないのだ!

ボディガードは、実は、小林の暴力から「作る会」を守ってるのだったりして^^;。

(おまけ)
『ムー』(学研)や廃刊した『ワンダーライフ』(小学館)の読者対象が、「不思議大好き、少年少女」だとしたら、『SAPIO』(小学館)は、「戦争大好き、熟年熟女」が読者対象かなぁ!?とか、思ってたんですが、今回の中閉じ込み広告は…。14ページに渡って「脳力開発法」『速聴』の宣伝を載せるとは…。実は、『SAPIO』も超常現象系が読者対象なのか?^^;。



mark 『第106章 縄文文明が母胎の『国民の歴史』』
(「SAPIO」 11月24日号)

今回は、西尾幹二著「国民の歴史」の宣伝^^;。大増16ページ。

京都にカンズメに行った時、
わしは今 やる気になっている どいつもこいつも ただじゃおかない えっらそーに 安全地帯から 何でも わかった風な口で ウソだらけ ぬかしやがって
そのくせ実力もなく 堂々と己れの作品を世に問う 気迫も情熱もなく 利用できそうな時はゴマすってわずらわしそうになったら沈黙し 欺瞞だらけのクソ野郎どもに 目にもの見せてやらねばならない!
色々、裏切られたり、不義理をされたりしてる様だ。この負のエネルギー(もちろん誉め言葉)を作品に昇華するエネルギーがまだまだありそうな所が凄い。

資料探しに本屋に行くと 『戦争論』を批判する ための駄本が ワレモワレモと出ていて 雑誌にはわしを 中途半端にののしる 駄文が散見される
昔 本屋めぐりが 趣味だったのに 今は うんざりして なるべくなら 近寄りたくない
そんな中で 『新・ゴー宣』7巻が 発売されて ハデに 並んでいた
うおっ… 河原町通りの 駸々堂は 何てステキな 並べ方だっ!
自分を批判する本が並んでいるのは見たくないが、自分の本が目立つように並んでいると嬉しい。…素直でよろしい^^;。

ただ、大川隆法の著作も専用のコーナーが設けられている事が多いように、「目立つように並べられている=その店で良く売れている」という事は言えても、「売れている=世間から認められている。支持されている内容である。」とは必ずしも言えない。また「売れない本=内容の薄っぺらな本」とは限らない。この辺、小林は勘違いしている感じがする。

いよいよ12月頃から 左翼は犯罪的な 手口を使ってくるだろう 「言論弾圧」である
外圧を利用した 「言論弾圧」が 吹き荒れる予兆がある 議論を許さぬ 言論弾圧 アメリカと 侵略国家・中国が 手を組むか? しょくん 何が起こるか 注意して見抜け!
12月に何かあったけ?この2コマ(2P目5・6コマ)の絵が、良い。にょろにょろ伸びる手が気色悪くて、いい感じ。

その後、普通のファンの男とナンパ男に声を掛けられ、キャバクラのねーちゃんに発見される。
だれだと思ってるの? このわしを? ゴーマニズムの 小林よしのりよっ!

さて ここからが本題だが 西尾幹二氏の 『国民の歴史』が ついに発売された
…、という事で本題の部分は割愛^^;。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
縄文一万年の昔から 我々をその懐に 抱き続けてくれた 列島…日本
我々の 先祖たちが 守り 我々に 伝えてくれた 大切なものに 気づく時が来た
我々はもう それを見失っては いけないのではないか?

(おまけ)
欄外情報によると、「作る会」との関係は最悪になってるようです。
わしは、この運動、最後までつきあっていけんかもしれん。…(中略)…「作る会」シンポは、わしは19日が最後だろう。
との事。だんだん煮詰まってきてます。

(どーでもいい話)
この号の『SAPIO』を電車の中で読んでいると、近くの人が『噂の眞相』を読んでいた^^;。で、周りを見まわすと『週間少年マガジン』読んでるサラリーマンや、ワンダースワン(携帯ゲーム機)をやってる禿げたおっさん、文庫本を読んでいるおっちゃんとかがいた。電車を降りる時に、ワンダースワン持ってるイケイケのねーちゃんも、いた。ワンダースワンって流行ってるのね…。



mark 『第107章 たのもしくふるまうこと』
(「SAPIO」 12月8日号)

今回は、たのもしくふるまうということについて。(そのまま^^;)

ゴーカーーン
強姦 強姦 強姦 ごーかーーん
「号外」(号刊?)と「強姦」とを掛けてます。

どーしたの? 辻ポート ピス美 議員…
元ピースボートの辻元清美議員と掛けてます。ちょっと、苦しいか…^^;。

その後、西村議員の発言に大騒ぎする辻元清美達を揶揄的に描いています。 でも、キャラクター的には良い感じに「立って」(*1) ますね。 3P目の3コマ目の下半身を脱いで西村議員に馬乗りになる女性を辻元さんにしたら面白かったのに。…でも、確実に訴えられるけど^^;。

(*1)「キャラクターが立つ(=キャラ立ち)」:
キャラクターの個性が漫画家の手を離れて生き生きと動き出す状態。一般的にギャグマンガではキャラが立つ事が重要。

でも、良く知らないけど西村発言が問題になったのは「強姦」発言ではなく「核武装」発言の方がメインではなかったっけ?

筑紫哲也(名前は、読めなくしている)と辻ボートピス美とのやりとりも創作くさいが、実際はどうなのかは知らない。

1945年 満州に 突如侵攻した ソ連兵は日本人女性を 強姦しまくったのだった
そして現代 反戦平和ファシズムは 言論の自由 議論の自由を 強姦し 弾圧した
小林は、「言論の自由」肯定派だったっけ?

その後、フジテレビ開局40周年記念ドラマ『少年H』に絡めて、自分の発言が封殺された事が語られる。

『正論』も「商売」ファシズムに強姦され検閲せざるを得なかった…という次第だ
「商売」ファシズム…新しい造語ですね。スポンサーの悪口が言えないのは、勿論問題です。

わかるか しょくん?
この世は 商売だ!
「売れる」事に拘る小林が、「商売」を否定的に語るのは珍しい。

「商売」の前には 言論は沈黙する
いずれ「南京事件」についても 議論ができなくなる 危険性だって あるんだぞ
売れない=商売にならなくなれば、(小林が)発言できなくなるかもしれません。逆に言えば、売れれば発言できる。
前回(106章)の「左翼の犯罪的な言論弾圧」とは、この事を言ってるのだろうか?

そこから、「作る会」内部の批判に打ちひしがれる小林の内面の吐露。伊藤理事に救いを求める姿を描く。

先日「JC・日本青年会議所」の 松山会頭と 次期会頭・上島氏 らと 会って話した
考えてみればわしも 社員5人の 社長なんだった
おお… わしだって 社長じゃ ないか!
このコマ(7P2コマ目)の小林の自画像がなかなかグッド。

JCの青年社長ら が「たのもしい」人間 を育てたい と 出してきたのは わかりやすくていい
「たのもしい」人間 …確かに 今の日本に必要 なのは これなんだ!
この言葉の響きが気に入ったみたいです。

ともかく 石原慎太郎は 今 すごく たのもしい
西村議員の 考えはいいが まだ危なっかしい
辻元清美に たのもしさの ひとかけらもない のは当然だ 横山ノックと 戦ってこい!
3者の捉え方が端的に出てますね。

今回のゴーマン
アジアの危機は これからだという時に 日本の指導者に たのもしいやつはいるか? たのもしく見せようと せめて ふるまうやつはいるか?

ごーまんかましてよかですか?
たのもしく ふるまえ!
内心 つらかろうと ビビッてようと たのもしく ふるまえ!
いい人ぶって セコイふるまいを するな!
ドックン ドックン ドックン ドックン ドックン ドックン ドックン

指導者が頼りないのは確か。…でも、なんか自分に言い聞かせてるみたい^^;。

(おまけ)欄外。
わしが西尾さんを見捨てることはないから、そこは安心してほしい。
穿った見方をすれば、「つくる会」とは袂を分つ事も有り得ると言う意味かも。



mark 『第108章 天皇陛下御即位十年式典と祈り』
(「SAPIO」 12月22日号)

今回は、天皇陛下即位十年の祝賀式典について。

「かば焼きの日」(旧ゴーマニズム宣言第○章)では、雅子さんが「天皇制反対」を叫びながら爆弾テロを起こすという「ギャグ」を描いた小林ですが、さて今回は…

恐らくこの式典には あまりふさわしくない 小林よしのりという 邪悪な魂を持つ者が 紛れ込んでるから
神が 清めの雨を 降らしたのかも しれない
正邪を対比させるためか、自画像を悪魔的に描いてます。

天使と悪魔が 同じステージに 立っている…
天皇の下では このような 奇跡が 実現するの である
小林は、自分の立場を「悪魔」の側だと自己規定している様です。

ここで、脈絡なく引用。
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僕は不思議でたまらないのだが、天皇制と呼ばれるものが、日本人にとってそれぞれみな異なる概念であるらしいことだ。その異なり方はまた個人のうちにおいても分裂的に現れる。一億人の天皇観があるだけでなく、さらにまた無数の天皇観がある。つまり未だに定まっておらず、あるいは定まらないかのごとくあるメタファーこそが日本人の天皇観なのだろう。三島は、独自の内なる天皇観を創りつつあった。

『ペルソナ -三島由紀夫伝-』猪瀬直樹(文春文庫)
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しかし何しろ国の象徴だ YOSHIKIやよしりんなら ファン・サービスというのは 必要だろうが 天皇は国民に サービスを要求される 存在ではない ともかく 安全が第一だ
それなら、わざわざ二重橋まで出てくる必要もないような気が…。

天皇が、参列者が雨に濡れて寒いのではないかと言った事に対して、
なんと つい先程まで 雨に降られていた 我々の身を案じ
それを気遣う 言葉を 投げかけておられる!
なんという 細やかな 「公」のこと のみを 気遣う 御心か!
時候の挨拶で、晴れなら「本日はお日柄も良く…」、雨なら「お足元の悪いなか…」。それ位、普通では?。
つまり、自分の中の天皇観。自分の中の日本人観。自分の中のこうあって欲しいという要求を、天皇に投影してるだけか?どんな要求でも映し出す所が日本の天皇制の特徴なのだろうか?

大原康男氏によると 「天皇とは国難打開のために 祈る存在である」という
(中略)
天皇は今回も 国難打開のために 秘かに祈りを捧げて こられたらしいのだ
「今回の国難」って、景気低迷の事だろうか?

天皇制度がなかったら 日本はどうなるか 考えてみたことはあるか?
日本国の 権威・権力の 頂点を目指す 私利私欲の 野心家たちが いっせいに 動き出すだろう
いくら頑張ってもナンバー2にしかなれない。この事によって、(結果的に?)権力闘争が抑えられている。という考え。良くも悪くも日本人的な部分ですな。

天皇がなくなったら 日本は日本でなくなる
その事が なぜわからん のだろう?
いや わかって やっている やつらがいる
このように硬直した思考では、前進も後進も出来ない。ただ、立ち止まるのみ。
天皇制を廃止する事も選択肢の1つとして考えられるようになるべきだと思う。

その後、万歳三唱を何度も繰り返すのが恥ずかしかったという話。

一転して「つくる会」シンポジウム。

わしは シンポの中で 藤岡氏の手紙 のことも話し もう少し続けて みると表明
慰留されて、残る事にしたようです。

今回のゴーマン
そう言えば最近 居酒屋で 東大生が来年から 通産省だ 弁護士だと 言って声かけてきたっけ…
ごーまんかましてよかですか?
わしは この若者たちが 21世紀に 気高く 揺るぎない生活を 送ることを祈る
我々の世代が 彼らの未来を 保証できるように わしが老いる前に 力を出しつくさねば ならない
わしが作家としての 生命を終えた後に 彼らの未来が 光り輝きますように

提灯持って、祈ってます^^;。台詞も、天皇の発言のパロディなのかな?

(おまけ)欄外。
わしのように即位十年を祝う祭典に参加しておいて、万歳三唱を何度も繰り返すのはイヤだとこうして描いてしまい、主催したところからのアンケートにも、同様に書いて出してしまう。そんな自由もこの国にはある。日の丸反対や君が代反対とわめき散らす自由も、この国にはある。他の国に比べ、何て許容度の高い国だろう。サヨクもわしも甘えまくっている。
許容度が低い方が良いのだろうか?

藤岡信勝には、わしは未だにその言動に、ものすごく腹が立つことがある。しかし、今、重要な仕事をやってもらっている、それは、すごく評価できる。わしは評価すべきところは最大限に評価する。今まで会をやめて、何もかもぶちまけてやろうと思ってたが、今回は、かろうじて踏み留まることにした。期待してた、あるスジのしょくん、残念だったな。
残念^^;。



mark 『第109章 中国の「改造」を絶賛する危険なテレビ』
(「SAPIO」 1月12日号)

今回は、テレビ番組「知ってるつもり?!」について。

今回のゴーマン

ごーまんかましてよかですか?
『知ってるつもり?!』やNHKの みなさーーん 中国共産党を賛美して 最高ですかーーあ!?
カルトや共産党の 「純粋まっすぐ君」 製造システムを 徹底批判しないなんて あなた方って 最低ですねーーえ!

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