今回は、小休止の回。「ゴーマニズム宣言」「小林 よしのり」について再確認。
「妻と秘書・カナモリを連れて福岡へ行く」
小林の妻が久々に登場。糸圭(2文字分で1字)秀実の著書で「妻が出てこないのはおかしい」と書かれたためだろうか?しかし、結局最後まで顔は見せない。これは、漫画の作劇上の常套手段。小林なりのアンサーだろう。なかなか上手い切り返しだと思う。
その後、仕事以外は 妻や秘書に依存していて、自分では何も出来ない小林の生活力の無さを強調。以前小林が描いた「岡本太郎とそれを支える女性」とイメージがダブる。
「わしは内では妻、外では秘書に完全に依存している」
「どうかわしの作品は読者のみなさんが守ってほしい」
卑屈に読者に媚びる小林。ゴーマンはどうした?^^;
「いかがわしい路地になって客引きが声をかけてくる」
「死ぬまでにいっぺんくらいここに入ってみたいな…」
「たたなくなる寸前くらいに行ってみようかな」
「(中略)」
「わしのベイダー将軍は倍あぐら〜〜っ」
「…なんてね、博多の夜はやせがまんがむなしか…」
確か、昔の『ゴーマニズム宣言』で「(緊張して?)恥ずかしながら勃たたなかった」と告白してた記憶がありますが…^^;。
「そもそも博多の山笠の期間は女は不浄のもので交わってはいけないとかきゅうりを食べてはいけないとか非民主的なカッコイイきまりがある」
「九州の方では男尊女卑のイカした風習がちゃんと残っていたのだ男は男らしく女は女らしく」
「女よりもきゃしゃで色白で可愛かったわしがそんな教えの中で育つのはとても抑圧があってつらかったけど…」
「大人になってみればやっぱりそんな教えが潜在意識の中にこびりついてしまっていて…」
「男は満足いくまでとことん働き 好きなように金を使って 女・子供を楽しませて金を残して死ぬだけ…」
「…そう思って生きている」
この辺が、小林のパーソナリティの根本でしょうね。九州の風習というよりも、小林の家庭がそういう風習だったのでしょう。それに完全に反発する人もいるでしょうし、小林のように取り込まれる人もいるでしょう。大体は、自分にとって都合が良いからその風習を受け入れるんだと思うのですが、小林にとってどうメリットがあるのかを考えてみると面白いかも。
「ばっちいばっちい女の残り湯……」
「シャワー浴びて上がろ」
その割には、女自体は好きみたいですが。男の性よのぉ^^;。
「『ゴーマニズム宣言』はかつて梶原一騎が格闘技漫画をやったように虚実ないまぜの思想漫画であるが」
これは上手い表現だと思いました。
車田正美の『男坂』だったと思うのですが、主人公が山で弟子にしてもらうために、崖から飛び降ります。「今ここで死んだら、所詮そこまでの男だったという事!本当に世の中が必要としているならば、死にはしないはずだ!」…とか無茶苦茶な事を言いながら…^^;。でも、これを読んで感動するんですよね。なんだか訳分からんけど。で、これに感動する人を見て「崖から飛び降りることを肯定している危険な漫画だ!」とか文句言う人もいないですよね。
『ゴーマニズム宣言』を必要以上に危険視している人たちは、なんかそういう部分を分かってないような気がします。
梶原一騎の『空手バカ一代』を読んで、空手を習いだした人もいるでしょうが、ほとんど大半の人は、単に読んで感動するだけでしょう。
『北斗の拳』『キャプテン翼』etc.etc. ……
「漫画の系譜から見ればたぶん一コマや四コマ漫画でやっていた風刺漫画の新型(ママ)式ではなかろうか?」
(スイマセン。ここからの感想文は、まだです。全文、加筆修正すると思います。
(感想文は、まだです。)
今回のゴーマン
今回は、宮崎哲弥批判。革命=共産主義革命の事ね。
薬害エイズ問題の時に安部英のキャラが立ちすぎて、人気が出てしまった反省からか、最近の小林は論敵を無表情に描く事が多かったのだが、今回の宮崎はキャラ立ちまくっていて、愛すべきキャラクターになってます。きっと、ファンが増えることでしょう^^;。
多分、意図的にそう描いています。
「片翼ヒューマニスト」という造語も、相変わらず小林の言語センスが光ってるね!
「言ってしまえば生きる「意味」も死ぬ「意味」も宇宙の開びゃくの瞬間からあってたまるか!」
「「意味」はしょせん本能の壊れた人間が創るものでしかなかろうが!」
火の鳥の絵も描かれてますね。正に、手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」で我王が悟りを開いた場面を彷彿とさせます。
「第三世界には歴史がないゆえに奪われる側になった」
この決め付けは、かなり問題ありだと思う。
「実はオウムと同じ共産主義の亜種なのだ!」
オウム=共産主義という論は初めて聞いた。
共産主義の行きつく先がオウム真理教のようなテロ集団になるということだろうか?
今回のゴーマン
「宮崎哲弥よあんまり深刻に突っ走らずにわしに少しその貴重な知識を分けてくれよ」
「あなたの言うとおりわしには思想も知識も何もないんだからさ」
今回は、「「大衆」に徹底的に信を置く」決意表明。
今回は、則定検事長のスキャンダルに関連して、朝日新聞・噂の眞相について。
しかし、改めて見渡してみると吹き出し(台詞)の少なさに驚く。
3ページ目最後にやっと、1コマ台詞が出てくる。その後、4ページ1コマ、6ページ4コマ、8ページの最後の2コマのみ。後は、小林の独白で成り立っている。これに感情移入するには、小林の内面にまで同化しないと難しいだろう。
「作品がヒットするとお金が入るお金が入って一番嬉しいことは芸術家(のような?)仕事ができることだ」
括弧の位置は、「芸術家の(ような?)仕事」の方が良いのではないか?
「描きおろしを2冊進めています」
『戦争論2』と、「絵本」の事かな?楽しみ!
「集団作業でしかやれない漫画家にとっては描きおろしなんて最初に資金のある身分でないとやれない」
「集団作業」…漫画とは、個人作業だと思っていたので吃驚。それとも、「集団作業でしかやれない漫画家」に掛かるのかな?確かに、最近は週刊誌連載をそのまま単行本にする作家が増えて、描きおろし単行本を出す作家がほとんどいなくなりましたね。商業的に「ヒット」する作品も良いけど、売れなくても自分の好きな物を描く「芸術」作品も有った方が面白いのに。その点、『ゴーマニズム宣言』は、良い線いってると思ってます。
「今やわしを応援しても売れるしわしを批判しても罵倒しても売れる」
「この出版不況と言われる中で少なからず経済効果はあると思う」
ここまで、ゴーマンかませれば御立派!いやマジで。ここまで、挑発はなかなか出来んもんです。
以降、大衆の意味を置き換えていく。
「わしが信を置く「大衆」は悟りたい者たち「大衆(だいしゅ)」である」
「戦後50年生活から浮き上がってしまった自分たちのみの納め場所を捜す決意をしただけの常識ある民である」
そして、『ゴーマニズム宣言』の読者は、新聞やテレビと違い「丸ごとの主体性」で熟読しているので、「大衆(だいしゅ)」であると考えている。
「大衆の中に潜む庶民性にわしは徹底的に信を置く!」
同じ漢字に2つの読み方だと、振り仮名を振ってくれないとこれから読みこなすのに苦労しそうです^^;。
小林の定義では、「大衆(たいしゅう)」<--->「庶民」。「大衆(たいしゅう)」<--->「大衆(だいしゅ)」。なのかなぁ…。
「わしの非常識は女関係くらいである」
ここまで念を押されると、よっぽど「非常識」なんだろうなぁ。ちょっと気になる^^;。
「わしは『Dr.スランプ』や『サザエさん』や『ドラえもん』のようにだれにでも愛される漫画を作りたくてそれを狙って描いたのが『おぼっちゃまくん』なのにやっぱり親がマユをひそめ子供は隠れて読む作品になってしまった」
なんて、無茶な^^;。
「保守にもバカがいて常識がなくて本人の言動や生活が相当非常識な者がいる」
「左翼にもしっかりした常識を持った人がいる」
遠藤誠が「この世には右翼も左翼も無い、あるのは信用できる人かそうでないかだ」と言っているが、結局そういうことなんだと思います。
「つまりわしは「反左翼」ではやってないのである」
吃驚。
「恥ずべき日本人だっていっぱいいるじゃないか」
は、同意するが、
「在日だって日本語を解し日本の風土・習慣・文化の中で育ったらもう日本人だとわしは思う」
本人が、在日「韓国人」だと思っていても?
「…しかしわしにはその手口が身につけられない」
「自分の中の毒性がどうやってもにじみ出て嫌われる部分を残す」
岡田斗司夫は、「「個性を伸ばす教育を」と言う人がいるが、信じられない。僕なんか一生懸命普通にしようとしても、滲み出てしまう強烈な個性のためにどんなに苦労した事か」と書いている。小林も同じようなタイプみたいです。
我々凡人には羨ましい事ですが、本人にとっては疎ましいものなのかもしれません。「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」(ヴェルレエヌ)。
「作品がヒットするには…」
「人の魂を揺さぶるには…」
「「手口」で「意味」を書くだけでは全くだめなのだ」
「生々しいわしだけの「感覚」が作品に封じ込められなければ」
「何かがわしに降臨しなければ!」
全面的に同意します。「手口」で、ヒットするものも確かにあるんだけどね。人の心には残らないです。
今回のゴーマン
「もうわしもトシじゃ」
「食っていくためだけの仕事はしたくない」
「芸術家のように仕事がしたい」
「その「大衆」の中に何人「大衆(だいしゅ)」がいるか?」
「わしはそこに賭ける!」
「芸術家のような仕事」をしたとたんに面白く無くなったりしそうな気もするが…^^;。
(おまけ)
「応援レター」の小学6年生の女の子。良い味出してます^^;。ここを選んでいるのは、編集部なのかだろうか、小林なのだろうか?
『第94章 裏付けなしの噂に依拠する朝日新聞の危険』
今回の感想は、省略します^^;。
今回のゴーマン
「ほとんど噂で踊るタイシューである」
「情報よりも人格を見る力をつけるべくもっと人とつきあえ!」
(おまけ)
最後の柱のコメント。
「人は時に、品行卑しくバカな事をしでかすが、品性は卑しくならないようにしたい。難しいけどね。」
珍しく、最後が柔らかい。
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