ネット『ペポ』5号
「コスモサービス社員A 他」 NO.018 柚崎奈津子 まずは、コスモサービス社員A。 名前が無いにもかかわらず、存在感、出番の多さが半端じゃない。 イヤミったらしい所が特に笑えますし、大塚芳忠さんの演技が いい味出してます。 ベガ第3星編は個性的なマイナーキャラの宝庫ですが、 中でもクーニョの船長さんがいいですね。滝口淳平さんは凄いです。 前記の2キャラの他には、ベガ第3星編のゴリアン、 ザザー星編のカリナル、28話に出てきた銀河パトロール所長も、 いい味出してます。 なんか、ラナいじめのキャラが多い…ちなみに、上記のキャラは みな声が西村知道氏です(笑)。 最近は、29話、30話のクレイラ星で出てきた普通の人々が好きですね。 ちょっとカネゴンと、イボガエル入ったデザインなのに、気のいい人が多い。 ストーリーの中で、彼等が入るシーンは、ほっとしますね。 余談ですが、トッピー達がシビップとダイムを追うのに借りた馬車、 ちゃんと持ち主に返ったのでしょうか…? では、今回はここまでにいたします。
マイナーキャラに花束を! NO.232 BMA (という訳で、今回は誉めちぎる事に専念した文章にしたいと思います) 僕があえて取り上げたいマイナーキャラは、トニオ・ピットン・ロリアの3人であります(^^;) こういう機会にでも取り上げませんと、他に語る機会もないでしょうから(笑)。 サジタリウスには割りと多くの子供キャラが登場してます。 リブもそうですし、ラナの子供達、リン、ミウ、ミーナ、カリンなど。 それらのキャラはどちらかというと純粋さを持っていたり優等生だったり。(例外もありますが) 「なんて良い子達だろう」と思わせてくれるキャラ達でありました。 一方、カメの赤ちゃん編に登場するトニオ・ピットン・ロリアの3人は、 今までに登場してきたサジ子供キャラとは一味違ってました。 とにかく、この3人は『くそガキ』なのです(笑)。 しかし、これは良い意味で…。 (↑ちょっと言葉が悪いですが・汗) 生意気な口をきくわ、子供の喧嘩で他の皆の命を危険にさらすわ、一人前に反抗するわ…。 どう考えても、腹立たしいったらありゃしない(笑)。 でも、これが「子供」なんだろうなぁ…とも思ったりもするんですね。 カメ赤編は、展開もめちゃくちゃで、色んな事を含めすぎていて かつ多くの謎を残したままで終了してしまうという、 全てが中途半端に終わったという印象が強い作品ではあるのですが、 そんな中で印象深いシーンが1つ。 シリーズ名にもなってる「カメの赤ちゃん」のシーンですね。 カメの赤ちゃんを、トニオ達(主にトニオ)に、 弱肉強食のある海を、厳しい階級制度のあるパスタン星に、 それぞれ例えてあるのでしょうが、 カメ赤編を語るうえで、海にはもう1つ大切な意味がありますよね。 『全ての生命が生まれた母なる海』 このシリーズの脚本を書いている城谷さんは、他のシリーズでも必ず子供が登場してます。 そして、子供をとりまく大人たちが何らかの問題を抱えており、 その子供の家族はみんな離れ離れに暮らしていました。 しかし、ルナ王女編でもカリン編でもその家族はまた1つに戻っていきます。 (カリンについては(一応)準レギュラーという位置づけがあったので地球に残りますけどね) 個人的には、城谷脚本のいう「帰るべき場所」とは『家族』の事であると考えています。 当然、カメ赤編でもそれは同じ事で、 トニオにとっての「自らが生まれ、帰るべき場所」とは「パスタン星」というよりは「家族」だと思うのです。 海に向かうカメの赤ちゃんを見つめながらトニオは家族を想って涙します。 例えそこが厳しい身分制度のあるパスタン星であっても、そこには愛すべき家族がいるのです。 それが、弱肉強食のある世界でもあり、母なる場所でもある「海」だと思うのです。 (その後に、ピットンがカメを一匹捕まえてくるのは、テーマに矛盾している様で納得いきませんが・汗) では、家族がいるからといって階級制度に順応しながら生き続けていきなさいという事かと言えば、 そうではないと思います。それが、最後のトニオ達の会話、 (ここからです。非常に長〜い前振りでしたが…^^;) ピットン『トニオ、僕は絶対にお前の言ったロボットにはならないぞ。』 ロリア 『でも結局は世の中に合わせていくしかないんじゃないかしら。』 トニオ 『そんな事はない。大人は考えを変えようとしないけど、僕たちは違う。』 『僕たちの力でこれからの世の中を変える事もできるんだ。』 これは「階級制度に順応しながら生き続けていきなさい」という事を否定している会話だと思います。 トニオはC級の人間でありますが、自分の腹を満たすためにカメの卵を食べたりと、 結局はA級(B級)がやっている事と変わらない行動にでたりします。 ピットンやロリアは冒険中も、C級であるトニオに対してC級の扱いしかしませんし、 サメの攻撃を防ぐために、自分を助けてくれたカメを犠牲にしたりとA級(B級)的行動にでますが、 その一方で、海に向かうカメの赤ちゃんの手助けをしたり、 卵を食べようとした(食べた)トニオに対して「やめて!」と止めに入ったりします。 一見、矛盾だらけの不可解な行動にでる彼らです。でも、 A級・B級・C級と分かれている子供達ですが、結局やっている事はみんな同じなのです。 トニオにもA級(B級)的なところがありますし、ピットンやロリアにも他人を思いやる気持ちはあるのです。 トニオもピットンもロリアも本当は同じ様な(そっくりな)子供達なのです。 トニオ達は冒険を通して、ただ単に『生まれながらにして皆同じ』という事ではなく、 『みんな同じ様な一面をそれぞれ持っている』という事に気付く事ができたのだと思います。 (A級やB級だからといって優しさに欠ける訳でもないし、C級だからといって心が清い訳でもない) (優しさも心の醜さもみんなが同じ様に持っている) さらに言えば、トニオ達は『表面的な平等』ではなく『内面的な平等』に気付いたのではないでしょうか? それがパスタン星の階級制度を表面的にではなく本当の意味で変えていく第一歩なのだと思います。 ですから、上記したラストのトニオ達の会話が活きてくるのでしょう。 大人はピットンの事を「天才政治家ソリーニの2代目になりますか?」と皮肉って言いますが、 彼らなら本当にパスタン星を良い方向に変えていく事ができるような気がします。 何十年か後、階級制度が廃止され、みんなが本当の意味で平等となったパスタン星で トニオやピットンやロリアの孫たちが一緒に遊んでいるのかもしれません。 そんな孫たちの姿を眺めながら、トニオ達があの冒険の昔話に華をさかせている光景が目に浮かびます。 少し、主旨とは違った内容になってしまいましたが(^^;)、 この話は今までのサジ子供キャラみたいな優等生や純粋な子供たちではなく、 A級・B級・C級それぞれの醜い部分(嫉妬や見下し)をちゃんと見せてくれる この『くそガキ』達だからこそ意味のあるシリーズだったと思います。 (ちょ、ちょっと誉めすぎたかも…汗)
マイナー・キャラクター雑感 NO.131 筆名前 馬づらアナウンサー(第10話) …… 旧・宇宙便利舎倒産のニュースを皮肉たっぷりに読み上げる。 登場回数が、割と多い方。 キャット(第11話) …… 結構、好きです。コスモサービスにあのまま居れば、 ラナと良いコンビになれたでしょう。 ジールス(第12・13話) …… 煩悩を捨て切れない、心優しき怪物。良い味出してました。 ピカソン(第23話) …… 売れない画家の卵。死んでから名が売れるタイプ?。 ピンタ(第25話) …… トランペット奏者でスパイ。人の良さそうな顔で抜擢される。 シビップとのセッションシーンは、印象的。 アミンサ(第33話〜) …… 元祖ロリータ少女。その猫耳で、ラナを悩殺。 ミーナ(第50話) …… 可愛い美少女。 ミニサジタリウス号(第72話) …… 意味は無いが、インパクトだけはあった。 ピート & ナラ …… 内助の功。地球で、主人公達を支えた。縁の下の力持ち。 彼女達が居なければ、彼等の冒険も無かったであろう。 アン教授 …… 主人公達とは微妙に距離を取りながら、独自の立ち位置で活躍。 ジラフがどんどん壊れていったのは、彼女のおかげ(?)。 --- ohkubo.toshihiro@nifty.ne.jp
以下、旧テーマから。 サジタリウス号に乗って NO.018 柚崎奈津子 サジタリウス号に乗って…まずは平和になったスバル星団へ。 スイードによって甦った神の星を見学した後は、マグロック星へ。 運がよければ、ハル王やパルバラ姫に会えるかも。 その後、ベガ第3星のライララ村へ。 クーニョ行きの船を経由して、幻想的な夕暮れを見たい物です。 夜はシビップの生家に泊まり、幼い時のシビップの思い出話を聞いて休みます。 最後は、アロン星とナルガン星に行って、たわわに育った農産物をおみやげに、 地球に帰る予定です。チリモージャは採りたてを食べたいですね(笑)
DVD化によせて NO.018 柚崎奈津子 DVDによせて…最初にこの事実を知ったのが5月か6月にアニメージュと ニュータイプでの広告でした。 それまで、何の音沙汰もなく、ひたすら待ち続けていた私にとって、 4月の衛星第2での放送開始に続く、驚天動地の出来事でした。 2001年の夏まで、パソコンはおろか、携帯電話さえ持っていなかった私にとって、 インターネットで署名活動があった事自体、想像の外の事態でした。 DVDの1巻で、一色伸行さんのエッセイによって、初めてその事実を 様々な人の働きかけによって実現したのだと知ってその方々に感謝すると 同時に私も参加したかったという気持ちとが交差したものです。 その後、家から車で20分位の場所にインターネットカフェが2001年の 8月に開店して、なんとかパソコンを使い、また、大久保氏からメールを 送って戴いたおかげで、文字情報は、携帯電話でもアクセス出来るようになりました。 それで今に至っている訳です。話がずれましたが、DVD化によって、 本放送時は音声でしかサジタリウスを知らなかった私にとって、 映像付きの世界は正に初めましてと久しぶりの再会を同時に味逢うという、 得難い体験をしています。 中学生の時、「サジタリウス」を全話見るまでは死なん!という変な誓いを 起てた物ですが、来年始めにはかなえられそうです(笑)。 DVDになった事で、収納も保存も便利になりましたし、後は3巻の発売を 待つばかりです!まとまりのない文ですが、ここで締めにいたします。 (2001年12月2日記録)柚崎奈津子