思った事



・平成9年7月18日

今回の一連の事件や、宮崎勤の連続幼女殺人事件後にホラービデオや 漫画などに対する「自粛」の問題について。

まず、本当にホラービデオなどの「表現」が犯罪を誘発するかという問題。
「正しい事は、誰が言っても同じようなものになるが、悪い事には独創性がいる。」 独創性の無い犯罪的傾向のある者が、これらの「表現」に接して自分で 発明したような気分になり事件を起こす事は、大いに有り得る。 今回の事件も、過去の事件や漫画からそのままパクったような部分がある。 自分で創造する事が出来なかったのであろう。

では、「表現」者に犯罪者に影響を与えた罪があるのか?という問題。
人は、人に影響を与え合っている。親が子供にポロリと言った一言で子供が 深く傷つく事もある。本を読んで衝撃を受ける事もある。どのような影響を 受けるかは誰にも分からない。

首が飛ぶ「表現」を見て、自分もやりたいと思うか、非道いと感じるか、 カッコイイと思うかは、人それぞれ。それを規制する事はいわゆる 「表現の自由」を犯す事になる。どう感じたとしても、「そう思う事」 を止める事は出来ない。という事である。

首を切るのを見て「自分もやりたい」と思う事を止める事は出来ないし 規制すべきではない。しかし、一旦それを実行してしまえば法により 罰せられる。「思う事」と「実際にやる」事とは、違うのだ!

・・・本当にそうなのだろうか?

「警察は、その機構からしていつも手遅れなのだ。」殺人が起こってから 犯人を探す。金を取られてから、金を探す。犯罪が割に合わない事を示し、 「次の犯罪を抑止する」事は出来ても、目の前の犯罪には全く無力である。 つまり、「殺され損」な訳である。これを防ぐ方法は、 首を切るのを見て「自分もやりたい」と思う事を禁止するしかない。 しかし、そんな事が本当に出来るのか?していいのか?
(・・・でも実は、ある「思想」を見張っている事はしてるんですけどね。)

安易な解決として首を切る「表現」を禁止する(又は自粛する)というのが 今、一般にされている対処である。これは、想像力の無い犯罪者に アイデアを思い付かせない効果はあると思う(特に、想像力の無い人は 安易な物まねをするので事件の直後に同種の犯罪を犯す可能性が高い。 その意味で、一時的な自粛は効果が無いとは言い切れないと思う。) が、創造的な犯罪者には無力でしょうね。 そして、倫理的に正しい「表現」ばかりの世の中なんて息が詰まって 暮らせたものではないでしょうね。

年間に何百人もの人が交通事故で亡くなっている。それでも、人は 自動車を手放せないでいる。それと同じように、数年に数人の人が 猟奇殺人で亡くなっても、人は「表現」を手放せない。という事でしょうか。

まとまりの無い文章でスマン。



・平成9年7月1日

空を飛べると思って屋根から落ちれば、足を痛める。もし、現実と虚構の区別が つかずに今回の事件を起こしたのならば、殺人を犯した時点で現実に引き戻されるはず である。首を絞めた時の相手の抵抗。首を切った時の血の生温かさ。空想していなか った事態が必ず起きて狼狽し、現実に引き戻されるはずである。しかし、今回の 犯人にはそれが感じられない。動物を虐待しているうちに”慣れ”てきたのであろうか?



・平成9年6月29日

まず初めに、淳君の冥福を祈りたいと思います。

そして、一応の事件解決により、子供たちや保護者の方達が 平和に暮らせるようになった事を喜びたいと思います。

これから、やらなければいけない事。考えなければいけない事が 沢山ありそうですが・・・。

まず、事件が解決して思った事は、犯人が中3の少年だと 分かった時点で「少年が、現実と空想の区別がつかずにさほど 重大だと思わずに犯行に及んだのではないか?」という意見が 多数を占めるようになったという事です。
(正確には逮捕された中学3年生は、刑が確定するまでは容疑者です。 しかし、犯行を否認しているならともかく初期の段階から犯行を認めている。 自供により、凶器も出てきた。等から「犯人」と表記している部分があります。)
確かに、少年の頃は例えば自分がスーパーマンになった気になって 屋根から飛んで足を挫いたりするものです。現実と空想の区別が ついている人なら、人間が自力で飛べない事も、足を挫く事も分かっているので 絶対屋根から飛ばないでしょう。そういう時期に例えば、猟奇的な 殺人を扱った雑誌を読めば自分にも出来るのではないかと考え、 そしてなんなくやってしまう。そういう可能性はない事はないでしょう。 現に、今回の事件がそうかもしれません。
しかし、子供の頃に空想に耽る事自体が悪い訳では無いと思います。 大人が空想に耽るのももちろん悪くない。誰でも、子供の頃 自分の心の中に、もう一人の人格を作って会話をしていた事が あるはずです。たぶんそれは、現実の嫌な事からの逃避の場合や 一人ぼっちの寂しさを紛らわすために心が作った幻でしょう。 そういう心の働きには、ちゃんと意味がある。自分自身と会話を する事によって、心のバランスを取っているのです。 そして、空想は自由に大空を飛び回り、大宇宙を軽々と飛び越えていきます。 これらが、物語や絵画を描く才能に繋がるのだと考えます。 つまり、自分の空想を如何に昇華するかだと思うのです。
月並みですが、辛い事・苦しい事を如何に乗り越えて自分を 生かす方向に持っていけるか。それが、大事なんでしょう。 だから、自分の生かし方を知っている人は、いくら猟奇的な 雑誌を読んだからといって、人を殺す事を夢想し、あまつさえ 実行にまで行ってしまう事はないと思います。
そして、残念な事に今回の犯人は自分の空想を「他人を殺す」 という事にしか持っていけなかったのでしょう。
その事実が、とても哀しい・・・。(本当に、涙が出てきた;_;)


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