ネット『ペポ』3号
---------------------------------------------------------------------------- 「ほな」 作: さとひでまたけ (No.164) 「じいちゃん、おかえり!」 小さい古びたドアを開けると、弾丸が飛んできた。今年3つになったばかり の末の孫娘。 自分で言うのもなんやけど、目がクリクリっとして、ごっつうかわいいねん。 他にも20人。20人も大きいのからごろごろと孫はおるけど、こん頃の子供 が一番汚れのうてええ。 一番大きいのは顔あわすたび、無い金せびりよるし、次のんは親泣かせ。とい って10番目のんみたいにガリ勉すぎるんもどないやな…。 ま、どいつも手は焼くけどかわいいもんや。 「よ、今日はかあちゃん残業か?」 「うん、そやからじいちゃん家で待っとりって」 ズッシリ重たくなった孫を抱くと腰にくる。けど、それがまたええ。 まあ、1歩あるけばすぐに居間の我が家。腰にくる暇もあらへん。なんや情け ないなあ。 「お父ちゃん、今晩は和風リゾットに、この子の好きなラザニアとサラダに したよ。あんたは血圧高いって医者に言われとるからラザニアは少しにしとき」 台所にはええ香りが漂っとる。古女房の唯一の自慢できる料理は、唯一美味 しく食べられるもん。あとは悪いけどいただけん。 せやけど、嫁はんの作ったラザニア食べたらよそのは食べられへんわ。 今日は美味いのや。けど……和風リゾットって、これただのおじややないか! こんなん腹の足しにならんで、殺生やなあ。わしこの暑い中、汗水たらして働 いてきたっちゅうに。 「おばあちゃんのごはん、おいしいわ」 「そやろ、ばあちゃん料理下手やけど、じいちゃんの好物のラザニアだけは 上手いやろ」 「うん、ほんま。たくさん食べてもいい?」 「ああ、ええよ。沢山作ったし、なんやったらばあちゃんのあげるよって」 「わあ、ありがとう」 「わしのも食べ。ぎょうさん食べて大きくならんとな」 この子の親、いうたらわしらの子供(ガキ)どもが小さかったころは、嫁は ん一人でもキュウクツな食卓で9人、押し合いへし合い、毎日おしくらまんじ ゅうしながら賑やかに食べとったもんや。 それが今、ビールのグラスをあげながら、たった3人の食卓をのんびり眺めて る。なんかゆったりしてるけど、寂しいもんやなあ。 人間は無いものねだりするもんや。 あの頃と全く変わらん家で生活してるけど、昔は広い所にと、遮二無二なった。 今はどないや。なんかものすごく広く感じてる。 食うて寝て、テレビ見てるんだけが能やと思とったこの嫁はん。なんやかん や言うて、子供たちが道を外さんよう育ててくれよった。家こそ大きいするこ とはできんかったけど、わしゃこれでよかったと思てる。 「おじいちゃん、どうしたの?」 「何やってるのん、ボーッとして。暑さで頭いかれたんかいな」 「アホぬかせ」 「あ、おじいちゃん泣いてる!」 「な、泣いてる?あ、なんや目に水がついただけや」 「あんな、じいちゃん年とってるから涙腺ゆるくなって泣き上戸になったん よ」 「泣き上戸?」 「ア、アホ!泣いとらんわい。子供に変なこと教えるな!」 「何照れてんのあんた」 「照れてなんかおらんわ」 「すぐそないなってムキになる」 「お前が変なこと言うからやろ」 「あ、おじいちゃん、顔赤い」 「ホンマやなあ。アハハ」 「ハハハッ」 なんやようわからんけど幸せで胸が一杯や。わしの喉からも勝手に笑い声が つき出て止まらん。久しぶりやなこの爽快感。 ああ、ビールがうまい。「おじやット」も何だかわからんけど美味いでえ。 「お父ちゃん、お母ちゃん、遅くまでありがとね」 「バイバイ」 残業帰りの娘夫婦が孫をつれて帰った後、広かった家は、さらにも増して広 くなった。 まるでどっかの大金持ちの住んでる豪邸みたいや。あの子の残していったオル ゴールの音がやけによく響く。 「あんた、オルゴール見てんの」 「せや。なあ、この家ものすご広くないか」 「広い?何いうてんの。昔から変わらんよ」 「そやのうて」 「マッチ棒が減ったら、おのずと箱の中は広く感じる。そういう事でしょ」 「えらい遠まわしやな。けど、その通りや。うまい事言うな」 「こんなんで誉められても何も出えへんよ、お父ちゃん。けど確かに広いわ、 この家」 「お前もそう感じとるんか」 「もちろん。けど、何やね」 「何や」 「うちら貧乏性やね」 「なんでや」 「こんな小さい家を広い広い言うて」 「ハハハ、ほんまや」 ポロロン、ポロロン。 オルゴールの音がわしらの出会いから今日までの思い出の引き出しを開けて いく。 楽しいこと、辛いこと、腹立つこと…、いろんな思い出がポロポロこぼれ落ち ていく。 定年なんか関係あらへん働きづめの毎日やけど、これがわしの生きる道なんや なあ。 「お父ちゃん、明日も早いんやろ。休まんと」 「せやな。ん?」 キリ、キリリッ。 嫁はんがオルゴールのねじまわしとる。 「あんた。せっかくやから豪邸の気分を味わいながら寝ましょ」 「ハハハッそらええな」 ポロポン、ポロロン。 「ほなお父ちゃん、おやすみ」 「ほな」 ----------------------------------------------------------------------------